支配とは、脅迫や暴力、暴言によるとは限らない。
それらだけだったら、支配というのはとてもわかりやすいことだろう。
もっと繊細でねばねばしていて容易に絡め取られてしまう、蜘蛛の巣のような支配とは、何を隠そう、愛である。
「あなたのことを愛しているからこそ…」「お前のことを思って…」「本当にあなたのことが心配だから…」
言葉はさまざまだけれども、その背後に潜む愛こそ、人を酔わせ、動けなくし、生き血を吸ってミイラにする支配の正体である。
この愛に絡め取られてしまうと、私たちは自由を失って相手と一体化してしまって、ひとつの団子のようになってしまい、もうあることが自分の意志なのか相手の意志なのか、区別がつかなくなってしまう。
しかし、世の中では、こういうベタベタの愛が、親子にしろ、恋人にしろ、夫婦にしろ、何にせよ、美化されているのは言うまでもない。
「愛の名のもとに、ひとつになるのは美しいこと」と、日々、洗脳してやまない。
そういう愛が、究極的には、私たちを神の天国のもとに、母の子宮の楽園の中に帰らせるのだと。
しかし、そこにはもう、私はない。私もいなければ、あなたもいない。ただ、人間のかたちをなくしたねばねばのヘドロのようなものがあるだけなのだ。
だからこそ、「愛の真空状態」というのは単に臨床催眠の一技術ではなく、大切な生き方だと思う。