無意識さんとともに

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性について

自分がもっとも書きにくい話題をあえて書いてみる。

小さい頃から、自分が生物的に男で性欲があることにものすごい恥ずかしさと罪悪感を覚えてきた。

どうしてそう思ってきたかと言うと、母親とキリスト教の影響があるのは否定しきれない。

父が浮気をしたせいなのかどうか、母は表面上は父を赦したようだったが、絶えず父を責めていた。糖尿病で高血圧の父に、糖分と塩分をてんこ盛りの食事をずっと与え続けたのは、一種の復讐だったのかも知れない。

それだけでなく、私と妹を自分の味方につけて、父をどんなに醜い存在か、男性というものはどんなに嫌らしくけがらわしい存在か、絶えず吹き込み続けた。

そうして、私は父を忌み嫌うようになり、同時に自分が男性であることも呪うようになった。

そうは言っても思春期になると、性欲は芽生えてくる。

未だに、この思い出はゾワッとするが、母は私の汚れた下着を持ち出して罵ってくることが度々あった。

私は、恥ずかしさと怒りで、自分を呪って死んでしまいたいと思った。

あるいは、自分のそれを切り取ってしまいたくさえ思ったこともある。

私がキリスト教に入ったのは(今は卒業したが)、この苦しみを解消したいと思ったこともある。

けれど、キリスト教では禁欲を説くだけで、具体的に性的なものをどうしたらいいか誰も教えてくれる人はいなかった。

教会にいる男性の誰も、信徒も牧師も、性欲などいっさいないような顔をしていた。それなのに、結婚して子供がいるということは、当時の私にとっては解き難い謎だった。

私は、ますます性欲を憎むようになっていった。

教会で、自分が恋していた年上の女性が結婚すると聞いて、悪魔の手の中に落ちてしまったように悶え苦しんだことを覚えている。

しかし、今は、母の支配からも、キリスト教の支配からも解き放たれて、こういう過去の性にまつわる思い出を振り返ると、笑い話のように思われる。

性、それは人間に当然ある人間の一部であって、大切なものである。それ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけのことである。

自分はそれをなんでこんなに苦しんできたのだろうと思うが、O先生が言うように、支配とは性と密接に結びついているのだろう。支配から自由になれば、性の問題も終わるのである。