自己犠牲と他者犠牲はワンセットである。
相手のために自分を犠牲にして相手に尽くす、自分のために相手を犠牲にして自分を優先する、どちらも自分の人生を生きていない。
すると、自己犠牲が自分の人生を生きていないということはわかるが、他者犠牲は自分の人生を生きていないということはわからないという声が聞こえてきそうである。
答えは、人を犠牲にしなければ成立しない人生とは、自分の人生と言えるのかということである。
自己犠牲と他者犠牲は、凹凸のように組み合わさってひとつになっている。他者犠牲は支配者が求める犠牲であり、自己犠牲は支配者に供えられる犠牲である。
そこに、人生はない、生命はない。果てしもない弱肉強食があるだけである、いつ終わるともしれないマウンティングがあるだけである。
けれど、無意識さんは私たちを導いて、そこから引き出してくれる。それは、もはや自己犠牲と他者犠牲がどこにもないユートビアの世界に入れてくれるのではない、そうではなく、目の前に支配者がいて自己犠牲を求めてきても、無意識さんが昼は雲の柱、夜は火の柱となって、自分の前面に立って、私はその陰にいて、自分のYESとNOを臆面もなく言うことができて、揺るがされることがないということなのである。
その時、支配者はそこにいても、路上に転がる石のようである。私たちは、支配者をまたいで、自分の目的地に向かって淡々と進んでいく。