無意識さんとともに

https://stand.fm/channels/62a48c250984f586c2626e10

さよなら、自己犠牲

どうしても自己犠牲をしてしまう。

思い返してみると、自分の頭の中は他人のことでいっぱいだった。

絶えず、『あの人はどうしているのかな?』とか『あの人のあの問題は解決しただろうか?』とか考えている。

そうやって、自分がもう半分、他の人になりかかっていて、他の人の人生を生きてしまっている。

まさに、自己犠牲とは、もちろん、頼まれもしないのに、自分の人生などどこかに置き去りにして、他の人の人生を生きることである。

ただ、自己犠牲といっても、そうやって他の人の人生を生きることで、自分の人生にはない輝きを、ドラマを自分のものとしてきたのかもしれない。

まさに、他人の顔のついた指人形を指にはめて、楽しんでいるかのようである。

そうして、自己犠牲をして、でも相手から思ったような反応が得られないと、キレて発作を起こす、『何で自分はこんなに尽くしているのに、相手は自分のことを顧みてくれないんだ』という絶望的な、世界を全部破壊したいような気持ちになる。

そんな繰り返しが、もう何百度となく繰り返されて、止めようにも止められなかった。

ところが、この前の「大手術」で、私の心臓(ハート)の中から、母親が、他人の指人形が抉り出された。

そうして、自分が他人になって代わりに自分を他人に認めてもらうということが、そういう試みがもうできなくなったようだ。
この歳になって、ようやく、この自己犠牲の連鎖から解放されて、何だか、いまだに激しく痛む胸の痛みもうれしい。