そうして、春が来た。
ぼくとはまっちは小学6年生になった。
もしかして、同じクラスに戻れるんじゃないかと期待したけれど、そんなことはなかった。もうみんなは、あのことも忘れて、ぼくたちを特別な目で見てくることはなかった。
ただ、家では相変わらず、あのことを持ち出してなじられることはあったが、知らないふりをしてやり過ごしていた、左足首にしっかりと結えられている虹色のミサンガがぼくに力を与えてくれているのかもしれない。それは、はまっちも同じだっただろう。
ふたりでいても誰も気にしなくなったので、時々、放課後、教室で会うこともあった。以前には考えられないことだ。
ある春の日、放課後、はまっちとぼくは教室の前の席に座っていた。もう今は、別の生徒が座っている以前はぼくたちの席だった席に。教室の左側、ぼくが一番後ろ、はまっちがぼくの前に。
白いカーテンが春風にたなびいて、後ろを向いて座っているはまっちの髪を揺らした。その度に、はまっちの香りがして、ぼくの心臓を波立たせた。
はまっちはまっすぐな瞳でこちらを見ていた。髪は長めに切り揃えられていて、きらきらさらさらしていた。
「はまっち、大人になったみたい」
「そう、やっぱり」
はまっちはえへへと笑った。
「言って損した、中味はおんなじかな」
「そんなことないわよ」
「ぼくを置いてひとりだけ大人になるなよ」
「そういううえっちもかっこよくなったわよ…ほんのちょっとだけだけど」
「本当?鏡を見ないからわからないけど」
「わたしたち、こうやって大人になっていくのかな」
「どうなんだろう」
その時、また風が窓から吹き込んできた。思わず、強い風に驚いて、はまっちもぼくも立ちあがった。そして、窓の外を見つめた。校門の近くには、桜が植えられていている。
「春の嵐みたいね」
「ゲルトルート」
「ヘルマン・ヘッセね」
「図書室であったあの時を思い出すね」
視線をはまっちに戻すと、はまっちの艶やかな髪に桜の花びらがひとつだけついていた。
「あっ、桜の花びら」
なぜか、ふたりはハモるようにして同時に声を出していた。そして、はまっちの手はぼくの肩に、ぼくの手ははまっちの髪に触れた。
そして、ぼくたちの手のひらに、それぞれ、桜の花びらがぽつんと乗っていた。
「なーんだ、同じことしちゃったみたい」
「そうだね」
「うえっちの肩、たくましくなっているみたい」
「よせよ、恥ずかしいだろ」
「なんか、急に男っぽいしゃべりかただなあ」
「はまっちの髪もなんかすごくきれいになってるけど」
「それ、お返し?」
「お返しじゃなくて、本当」
ぼくたちは、そのまま、しばらく見つめあっていた…
「そうだ、桜の花って、幸せ成分を含んでいるって読んだことがあるわ」
「そっか、だから…」
「だから、何?」
はまっちが黒目がちの瞳で、ぼくの目を覗き込んだ。
「だから、今、幸せな気分なのかな」
「それだけ?」
ぼくはためらったが、口がすべった。
「それだけじゃない、はまっちといるから」
「今、なんて?もう一度、プリーズ」
はまっちはさも面白くてたまらないように、笑う。
「はまっちがいるから…だよ」
「わたしもおんなじ、うえっちがいてくれるから」
…
ぼくは家に帰ると、日記帳に桜の花びらを大切にはさみ込んだ。