無意識さんとともに

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光の人について

この前、Pre FAPの練習をしていたら、光の人に出会った。出会ったと言っても、前から知ってはいるのだが、練習をするために、心に聞いたら、「この人の属性は光の人」と教えてくれたのである。

私は、H神父以外に光の人に会ったことがなかったから、かなり驚いた。

そして、あらためて過去のその方とのいろいろなやりとりを思い出すと、『ああ、光の人だからだったんだなあ』としみじみ思った。

心に聞くと、光の人は光を世の中に照らすために存在していると言う。

光とは、何か具体的な内容とか教えとかではない、光に照らされる時、私たちが知るのは、そこに映し出される私たちの本当の姿である。

光の人は灯台のようなものである。光の人の照らし出す光によって、私たちは自分の位置を知る、自分の位置を知って本当の自分が求める方向に進むことができる。

だから、光の人は、それぞれが進む方向を指示したりはしない。ただ、その人を照らし、本来のその人が求めているものを明らかにするのである。

「わたしは世の光である。光がある間に、光のうちを歩みなさい」

ブッダは虚無の人、イエスは光の人である。

支配者にとって、光の人ほど妨げになるものはない。なぜなら、光の人が、光を放って灯台の役目をしてしまうと、多くの人が自分のありままの姿に目覚めてしまい、解放されて、自分の心の底から望む方向に行ってしまうからである。

支配者は全力で光の人を取り込んで、光を封じるために、優しさを利用して光の人を縛って心の外にほっぽり出したり、暗い牢獄に閉じ込めたり、水に溺れさせようとしてくる。

しかし、光の人はどこにいても光を放つことをやめることはできない。
そして、自分の放つ光が、ついには、自分をも、他の人をも解放する時がやってくる。

それを支配者が止めることは決してできない。