と言っても、はまっちのことばかり考えていたわけではない。ぼうっとはまっちのことばかり考えそうになるが、それは何だか違う気がした。ぼくはぼくの毎日を生きる、そんなかっこいい言葉が心に浮かんだりした。
教科書と参考書の読み込みに加えて、図書室の世界文学全集を借り出して、一冊ずつ読むことにした。ヘッセはなじみがあったが、ゲーテ、ドストエフスキー、トルストイ…と読んで言った。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」にはとても惹かれて、ロッテの鴇色の紐とはまっちがくれた虹色のミサンガを頭の中で結び付けたりしていて、ハッとしたりした。ドストエフスキーの罪と罰は何だかちんぷんかんだったが、とにかく最後まで読み進めた。
さらに、身体を鍛えたくなった。ぼくは運動が大の苦手で、体育の時間は苦しみ以外の何ものでもなかったが、腹筋と腕立てを始めた。毎日、少しずつできる回数を増やしていった、もちろん休む日があったが、だんだんできる回数が増えることが面白くなっていった。
家は、壊滅的な雰囲気で、父の事業は遅かれ早かれ、完全にだめになるらしい。そのためか、母の父に対する攻撃はいよいよひどくなり、食事もろくに準備されないで、インスタント食品やお菓子が無造作にテーブルに置いてあることがさらに多くなった。それで、ぼくは、とにかく冷蔵庫にある少しでもまともな食材で自分で料理して食べることがますます多くなっていった。ぼくの料理の腕は、シェフを目指すはまっちとはいかないまでも、ご飯を炊けたり、野菜をみじん切りにできたり、油を使って炒め物を作れたりと、それなりのものになっていった。
母は、最初こそ、「これみよがしに料理して、私の用意するものが気に入らないの?」と怒鳴ったが、基本、自分が楽をできればいいようで、放置するようになっていった。ぼくが母の代わりに、父と母の分を作ることもあった。
高村君や他の男子たちと自転車で遊びまわることもあった。ただ、あのことの前にやっていた虫取りや爆竹で遊ぶことは興味が持てなくなっていた。また、仲間の中にも中学受験で塾に通うものも増えてきて、そういう遊びは次第に減っていった。
壁ひとつ隔てて、来年通うはずの中学校があった。
ぼくと高村君は、校舎の裏のその壁にもたれて、座っていた。
中学生の部活動の声が聞こえてくる、中学生の男子の声はぼくたちよりもずっと低音に聞こえ、女子の声は胸をざわつかせるような響きがあった。
「1年すれば、あそこにいるんだな」
高村君がぼそっと言った。
「そうだね」
「うえっちは、部活何に入る?」
はまっちに影響されたのか、いつのまにか、高村君もぼくのことをうえっちと呼ぶようになったみたいだった。
「わからないなあ、運動系か文化系か」
「俺は柔道部に入りたい」
なるほど、高村君の肩幅の広さを見るとそんな気がする。
「うえっちは将来、何になりたいの?」
「そうだなあ…高村君は?」
「俺は体育の教師になるつもり」
そうだった、高村君の両親は学校の先生だった。
「すごいな、小6でそんなこと考えているなんて」
「そんなことないよ、上地も心の中ではあるんだろ」
急に呼び捨てにされて、ちょっとたじろいだ。
「そうだなあ…なれたら小説家になりたい」
「なれるよ、上地なら。もう将来の結婚相手も決まってるぐらいなんだから」
高村君は、豪快に笑った。
ぼくは何だか恥ずかしかったが、勇気をもらえたような気持ちになった。