心が言うには、隠れキリシタンならぬ、隠れ光の人がいるそうだ。
というのは、支配者は全力で光の人を攻撃してくるので、光の人は自分が光の人であることを隠そうとする。
光の人であるイエスも、自分がキリスト、つまり光の人であることを内輪の人間以外には知らそうとしなかったことから考えると、これは納得できる。
支配者が光の人を取り込むには、2種類のやり方がある。
ひとつめは、支配者が自分が正しい神だとふるまって、神の正しい意志を求めようとする光の人を取り込もうとすること。
この攻撃を避けるために、光の人は、自分が光の人であることを隠す。
ふたつめは、支配者が光の人を神のように扱い、ほめ殺しをすることで、光の人を取り込もうとすること。
この攻撃を避けるために、光の人の心は、光の人本人に、その人が光の人であることを知らせないで隠しておく。
ちなみに、イエスの人生で見てみると、
ひとつめは、荒野で、試みるもの=支配者が自分を神として認めるようにイエスに要求したことで、
ふたつめは、支配者に扇動された群衆がイエスを王としようとしたこと、またイエスの死の前後から、イエスが神格化されて現在のキリスト教ができたことから見てとれる。