日曜日、母が珍しく作ったしょっぱい昼食を食べると、「どこに行くの?」という母の声を無視して、ぼくは白いサイクリング車にまたがった。
ここから、清瀬中央公園まで自転車で行くとなると、40分はかかりそうだ。
それでも、ぼくは自転車で行きたかった。はまっちを乗せてあげたかった。
家から出て、少し左に曲がり、また右にまっすぐ行って、新青梅街道に出て、右折して、道なりに進む。そうして、また右折すると、久米川駅から清瀬駅にバスが通っている道に入る。あとはそのまま、バスが進むのと同じように行くだけだ。
途中、全生園が見えてきて、おばあちゃんの顔が頭をかすめる。
さらに、前に住んでいた家のすぐそばを通ると、『あの家にはもう違う人が住んでいるのだろうな、でも「ぼくの部屋に置き忘れた宝物があるんです、だから入らせてもらっていいですか」と今住んでいる人に言ったらどうだろう』などという妄想が頭に浮かんでくる。
ぼくが頭で何を考えようと、自転車はどんどん進んでいく。
食べ物が何もなくて、よくクリームパンやあんぱんを買った雑貨店を通りすぎ、あの病院の前に来た。
『あの小屋の戸についていた蝉の抜け殻はどこに行ったのだろうか?』などと思ったが、もうその答えは既に知っているような気がした。
そうして、あの時、はまっちとスーパーに行った道を自転車で抜けていく。自分とはまっちのあの時の姿がまざまざと浮かんでくる、と同時に、今の自分がその時の姿とは違うことも感じられる、それでも、それでも、あの時に初めて握ったはまっちの手の感触は、今も右手にくっきりと残っている。
今のはまっちは、あの時とは変わっているんだろうか、もしかしたらぼくの知らないはまっちになってしまっているんだろうか、そんな思いがふつふつと湧いてきて、なんだか胸がしくしくする。
そんなことを考えているうちに、まるで勝手に自転車は公園に着いていた。ぼくは夢から覚めたように、自転車から降りて、駐輪場の空いているところに自転車をとめた。
何だか胸がどきどきしてきた、いっそのことこのまま帰ってしまおうか?
そうすれば、はまっちはあのはまっちのままで、ぼくの記憶の中に冷凍保存されるのかもしれない。けれど、待てよ、そんな1か月ぐらいではまっちが変わるはずもない、ぼくはわけのわからない考えに取り憑かれている自分を笑いたくなった。
公園の中を歩いて突っ切っていくと、あのベンチが見えてきた。そして、あの同じベンチに女の子がふたり肩を並べて座っていた。