こないだ、練習で友達にFAPをしていただいた。
私には、ずっと、自分が男性なのに、男性恐怖がある。
そして、友達と言える人は女性しかいない。もちろん、男性の友達がいたことはある、親友と呼べる男性もいた。
けれど、最後は必ず喧嘩別れで終わってしまう。喧嘩した後は、もう関係が回復することはなく、それきりになった。
とにかく、男性というと、身構えてしまう。特に、いわゆる男性的な男性にはそうだ。なんか、マッチョであけすけに性的なことを言い、下品ですぐにマウンティングをしてくる男性から、もう秒速で逃走してしまう。
男性で耐えられるのは、かろうじて中性的な人である。
だからこんなふうに思っていた、『男性とか女性とか問題にするのはダサいよね、男性とか女性とか言う前に、大切なのは人間でしょ』って。
そう言いながら、自分のイメージの男性を意識して何よりも忌み嫌っていたのだ。
ところが、FAPを受けて、主軸コードを唱えているうちに、過去に関わりがあったマッチョな男性が浮かんできてゲーゲーとイメージの中では盛大に吐いて、その後に、自分は男性をそもそも人間として見ていないことに気づいてしまった。
猿かゴリラとして見ているのである。
それで、思い出されるのは、私の父である。
父はタイル職人で、奥目で頬骨が出ていて、筋肉質で、無口で、男性的な人であった。
そして、母はこの父が妊娠中に浮気したとかで、徹底的に悪者にしていた。子供たちを自分の味方につけて、男性は薄汚いものというイメージで洗脳したようだ。
男性を猿かゴリラのように見る私は、どうやら、母に埋め込まれた母の目で男性を見てきたらしい。
それがわかった時に、さらに違う男性のイメージが出てきた。
最初は、赤毛のアンに出てくるマシューのイメージだった。
「そうさのう」
あの口調が何とも言えず心地よい。
マシューのイメージは、静かで無骨だけれども人を見守る温かさがある。
森の中で、ひときわ、大きく、大地に深く根を張っている樫の木のイメージ。
その樫の木は風が吹いても葉は揺れるが、幹は微動だにしない。
多くの小鳥が枝に止まって、日がな一日、楽しそうに歌を歌っている。
そんな大木のメタファーがどこからともなくやってきて、新たな男性のイメージとして、私の心に埋め込まれたらしい。