戦争の時、特攻隊が敵の戦艦に突っ込んでいくまさに最後の時に言った言葉は、『お母さん』という言葉だったとよく言われる。
これがアメリカ人やヨーロッパ人なら、『神様』と言うだろう。
してみると、日本人にとって、母親が神となっていることは自明なのかもしれない。
FAPで重視されるのは、支配者の特定であるが、ほぼ8割の人が母親が支配者であると言われる。
心に支配と邪魔を排除してもらっていくと現れる最初にして最後の牙城は、母親である。
私自身が心に支配と邪魔を排除してくれるようにお願いした後、夜に、夢で、母親が鬼のような顔をして私の上にのしかかって首を絞めてきた。
その時、頭の中に、鬼子母神という言葉が浮かび、自分はまさにこの鬼子母神たる母に食糧として食い尽くされてきたのだとわかった(伝説の鬼子母神は、自分の子ではなく、他人の子を食べたそうだが、私の場合はまさしく自分の子である)。
その後、私は心と会話できるようになった。
男性ならば、エディプスコンプレックスによって母親に支配されていると言えるが、女性ならどうだろうという人がいるが、同じことである。
男性ならば母親は直接的に支配するが、女性ならば母親は夫をめぐる愛情の競争相手として、父親を通して支配するからである。
そして、実は、自己犠牲と母親は密接に関係している。
自己犠牲の裏に必ず、母親の影がちらついている。
最初にあげた特攻隊員は、もちろん、お国のためにということと母親が重なっている。
それだけではない、お国のため、会社のため、家族のため、人のためという時は、お国や会社や家族や人が、自分の母親のためになっている。
だから、自己犠牲とは、すべて母親という神に自分を捧げることである。
今も、母親の子宮の中にあるか、ようやく子宮から出はしたが、まだ臍の緒が繋がれて、同じ感情、同じ思考、同じ命を生きているのである。いや、むしろ、母親という存在を、母親のコピーになって、母親の人生を生きているのである。
ここを断ち切ることが自由になることである。
そのためには、心に邪魔と支配を排除してもらい続けるとともに、重要になってくるのは、『母親破壊』という呪文であると思う。
これこそ、伝家の宝刀であると言ってもいい。
『母親破壊』という呪文を唱えてくださいというと、かなりの人は激しい抵抗を示す。
「母子分離じゃダメですか」などと言ってくる。
けれど、母子分離では子宮から出ても繋がっている臍の緒を断ち切れない。
『母親破壊』という言葉まで至って、臍の緒をまっぷたつに切ることができる。
また、「私の母親は、あなたの母親と違って、いい人です」などと言う人もいるかもしれない。
母親がいいか悪いかは関係がない。
悪い母親、毒親であればわかりやすいが、いい母親であればかえって厄介である。
問題なのは、母親の善悪ではなく、未だ、大人になっても母親と臍の緒で繋がっていると言うことのである。
そうであれば、心の声は聞こえない、聞こえるのは母親の声である。
もちろん、それであっても構わない、母親と繋がって、母親から臍の緒で栄養を受け続け、そうして生きるのも構わない、善悪ではない。
けれど、心の声を聞きたいなら、自分が自己犠牲して誰かの人生を生きるのではなく、本来の自分になって自分の人生を生きたいなら、躊躇する必要はない。
『母親破壊』と唱えて、臍の緒を真っ二つに一刀両断することができるのだ。