無意識さんとともに

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団体に属することは…

ある宗教団体に属すると、それらしい顔つきになるから不思議だ。

仏教徒には仏教徒の、クリスチャンにはクリスチャンの、カトリックにはカトリックのそれらしい顔つきがある。

顔つきだけではない、それらしい言葉遣い、態度、醸し出す雰囲気がある。

もしかしたら、宗教団体だけではないのかもしれない。政党なんかもそうだし、他の団体にも当てはまるかもしれない。

「同じ釜の飯を食う」というが、同じ何かを自分の中に取り入れてそうなっていくのだろう。

ある人から、「宗教全体でひとつの生命体みたいになっているんですね」と言われたが、ある団体に属することが、同じひとつの生命を生きることになったりするのかもしれない。

その生命とは、ずばり、その団体をつくった支配者の生命である。

そこにどんなに高尚な言葉が謳い文句として掲げられていても、この団体を実質的に支配しているのは、この色のついた生命の流れなのであって、自己犠牲ー支配ー自己犠牲ー支配という連鎖で、その生命を取り込んで、その生命独特の顔つき、言葉遣い、態度、雰囲気までも取り込んでいく。

だから、同じような顔つき、言葉遣い、態度、雰囲気があるところには、どんなに素晴らしい教えがあっても、当然、支配があると言える。


無意識さんは、人を同じ顔つきにはしない。無意識さんは無色透明な生命であって、その人を本来の姿に変えていくから。その人本来の姿はそれぞれであって、バラエティに富んでいる。