次の日、学校に行ってみたが、佐伯さんは学校に来ていない、佐伯さんのクラスにも文芸部の部室にも姿を見せない。
昨夜会った佐伯さんの姿が頭にこびりついて離れない。
まるで、抜け殻のようだった。佐伯さんの残骸がそこにあるようだった。
『ぼくが佐伯さんを振って、はまっちを選んだから?』
胸が割れるように痛む。
国語の授業中だったけれど、教室の目の前の何気ない風景がヒビの入ったガラスのようだ。
もう耐えられなかった。
ぼくは、校舎の裏門を通って、文房具屋のそばにある佐伯さんの家に行くしかなかった。
昼間だから、ブロック塀の黒いシミが目立つ。
『いくら何でも、家の人がいるだろう』と思って、チャイムを押すのに戸惑う。
そして、右往左往しているうちに、引き戸がいきなり開いて、佐伯さんが顔を覗かせる。
相変わらず、青白い顔をしている。
「上地君?」
「なんで?」
「なんか来てくれる気がして」
「そうか、顔だけ見れたから戻るよ」
「待って、中に入って」
「あっ、いや、うん」
佐伯さんをこんなにしてしまっているのは自分だと思うと、何だか断れなかった。
昼間に見ると、家の中はもっとゴミ屋敷に近づいて見える。
「ひどいでしょ?」
「家の人は?」
「まだ、帰っていない」
「いつ、帰るの?」
「さあ、わからない。男のところに行くと、なかなか戻ってこないから」
ぼくはいけないことを聞いてしまったような気がして、無言でいた。
部屋に入ると、佐伯さんは制服のまま、ベッドに横になった。
「机の椅子を引き寄せて座って。一応、学校行こうとしたけど、力が出なくて」
普段の佐伯さんの口調と全く違ってしまっていることに改めて、驚きながら、ぼくは椅子に座った。
「昨日の夜、来てくれたんだよね?」
「うん」
「そうか、良かった。夢じゃなかったんだった」
「…」
「私ね、友達ひとりもいないから、上地君を失ったらまるでひとりぼっち。『大切な友達』って言ってくれたでしょ。ほんとは素直にうれしかったの」
その言葉に驚いて、佐伯さんの顔を見ると、いつものような化粧はしていなくて、リップさえも塗っていなかった。
ぼくは胸が締め付けられた。
「ほんとのことだから、ぼくも友達はいないから」
あらためて考えてみると、友達はいない。神楽坂さんは友達とは言えないし、はまっちを友達というのも違う気がする。
「そう、それなら、上地君にとって、私はただ一人の友達だね…うれしいな」
そう言っている佐伯さんの顔が赤い。
「佐伯さん、熱あるんじゃないか」
ぼくは佐伯さんの額に手を伸ばした。手を優しく払われたが、それでもぼくは額に触れた。
額はかなり熱かった。
ぼくは、押し入れの物の山から救急箱を取り出し、風邪薬を見つけた。
ただ、飲む前に何か食べるものをと、シンクの食器を洗って、ガスをつけ、卵がゆを作った。
佐伯さんは眠そうだった。
「友達なら紗奈と呼んでくれる?」
ぼくはためらったが、選択肢はない。
「紗奈、おかゆ食べて、眠るといいよ」
佐伯さんにおかゆを食べさせ、風邪薬を飲ませると、満足そうな笑みを浮かべて寝息を立てた。
ぼくは誰にも見つからないように忍び足で家を出て、学校に戻り、家に帰り、そして塾に向かった。
『何だか、母親のようだ』
そう思いながらも、とてもとても疲れていた。
そうだ、塾にははまっちが待っているんだった。