たっちゃんは、朝6時に教会に来てお祈り会を開くようになった。
来るのは、僕を含めて子供は4、5人に、ふだん、『リバイバル』と口癖にしている大人がふたりに牧師。
もっとも、大人は見守るようにして、口は出さないつもりらしかった。神様がどんなことをなされるか見ていようとのことだった。
たっちゃんがまず、祈り出す。
「主よ、あなたの霊をここに注いでください。Come, Holy Spirit!」
そんな祈りは僕の教会でなされたことはなかった。教会は聖書中心のプロテスタント福音派、穏健な堅い教会だった。
すると、また、上から磁力のような、電気のような毛布が降りてくる。
身体ががたがた震えてくる、組み合わせた手が離れない。
あたりを見回すと、そうなっているのは僕だけではない、他の子も、あるいは離れて見ていた大人も牧師さえも!
そして、急に、まず子供たちが泣き出して、叫び出す。
「神様、こんな罪人の私を憐れんでください。こんな罪人の私を赦してください」
ひとりがそう叫び出すと、続いてひとり、もうひとりと叫び出す。
前と同じく、『なんだ、これは?』と思っていた自分も、いつの間にか、同じことを叫んでいる。
それどころか、気がつくと、大人ふたりも牧師さえも、涙を流しながら同じことを叫ぶ。
そうして、急に、円陣に組まれた椅子のひとつからたっちゃんは立ち上がり、真ん中に歩み出て、言う。
「主イエスは、私たちのために、確かに十字架につけられ、私たちの罪そのものとなって死に、そして復活されました。ですから、私たちは、もはや、罪の縄目に縛られてはいないのです。私たちは新しくされました。ですから、その証として、主にふさわしく清い生活をしましょう」
たっちゃんが光り輝いて見える。まるで白金色のオーラが発しているかのようだ。
みんなが、子供も大人も、口々に「アーメン」と言い、
誰かが「ハレルヤ」と聞いたことのないメロディで歌い出す。
すると、続けて、まだ誰かがそこに加わり、不思議なことに歌が溢れてくる。
「ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、主は確かによみがえられ、罪のくびきは打ち砕かれた。主は勝利者、私たちも共に主の勝利を祝おう。ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ」
気がつくと、もう2時間経っていた。
急いで学校に行かなくちゃ、けれど、その前に。
ぼくはたっちゃんに話しかけた。
「たっちゃん、話すことがあるんだ」
「うん、わかってるよ」
「えっ、どういうこと?」
「君は今までぼくのことを馬鹿にしていて、そのことを謝りたいと思っているんだね」
僕は絶句した。