授業が終わったところで、わたしはうえっちに言った。
「今度の日曜日、空いてる?」
「あっ、うん」
うえっちはやっぱりすごく疲れていそうだ。
「大丈夫、うえっち?」
「ああ、大丈夫だよ、日曜日ね」
もう、塾の教室には誰もいない。ふたりの声だけ、室内に響く。
外は真っ暗だ。
「あの小屋に行かない?」
「あの小屋って、あの小屋?」
「そう、わたしたちの小屋」
『わたしたち』というところを強調してしまっていた。
「でも、あの小屋って、17歳の7月7日に行くんじゃないの?」
「うん、そのつもりだったけど、もういいの。こうして、うえっちに再会できたわけだし」
「うん」
「今は、その、付き合っているわけだしね」
わたしは顔が熱くなるのを感じた。
「そうか、それもそうかもしれない」
「じゃあ、日曜日の午後2時に、病院のバス停に集合ね」
「わかった」
わたしは約束した。もう1度、あの小屋でうえっちと…ふたりだけの世界。わたしたちの、私たちの唯一の逃れ場…
日曜日の午後2時ちょっと前に、わたしはバス停でうえっちを待っていた。清瀬駅行きのバスが来て、うえっちはバスを降りてきた。白いオックスフォードシャツにブルージーンズ、黒いスニーカー、何だか見た目は年上に見えた。
ふたりで並んで、正門から入る。右脇の小道をだらだらと歩いていく。手をつなぎたかったけれど、そんな勇気は出ない。
フィトンチッドをいっぱいに含んだ空気が肺を満たしていく。
「ここに来たのは、1年以上前だわ」
「ぼくは卒業の謝恩会の後だったから、もっと前かな」
ぶなの木が群生しているところを左に曲がり、石が埋められている小道を進む。昔となんら変わることはなかった。
そして、小屋が、あの懐かしい姿が目に入ってくるはずだった。
けれど、そこには何もなかった。
ただの更地になっていた。
わたしは言葉を失って、思わず、膝から崩れ折れた。
「うえっち、わたしたちの小屋が、小屋が、小屋が…。この世の中でわたしたちのただひとつの場所が…」
うえっちは、何も言わずに、ただ呆然と立ち尽くしていた。
わたしは身体が震えてきて、涙が間歇泉のように溢れ、嗚咽が漏れた。
「小屋がなくなったら、どうしたらいいの?もう、あの時に戻れないの?」
うえっちは、何か思いついたようにあたりに落ちている大きめの木の棒を拾い上げて、地面を掘り始めた。
そして、地面の中から何かを引き出した。
それは、私たちが最初に小屋に行った時に食べた泉屋のクッキーの缶の蓋だった。
「これ以外、何も残っていない」
そして、わたしの隣で、うえっちも膝をガクンと落として、わたしをハグして、泣き始めた。
うえっちが泣くと、わたしもいよいよ涙が止まらなくなり、ふたりの嗚咽がずっとあたりに聞こえていた。