それからは、ぼくたちの教会はまるで変わってしまった、何もかも。
たっちゃんは、朝の祈り会をそれからも続けた。
けれど、違うのは、元々、来ていた日曜学校の小学6年生に加えて、大人が大挙して来るようになった。
たっちゃんはいよいよ、何か触れることのできない高密度のエネルギーに満たされているようで、もうそこにいるのは小学生の子どもではなくて、いにしえの預言者といったありさまだった。
「主は言われます、わたしはわたしの霊を豊かにこの群れに注ぎ、この群れは終わりに先立つ日のヨエルの軍隊として、神の民に後の雨を降らせるものとして用いられるだろう」と。
たっちゃんの目はギラギラ光を放っていて、そこにいる人すべての心の奥底にある隠れた考えを見抜くかのように思われた。
次の日曜日、教会の礼拝は、メンバーが半分になったはずだった。
はずだったというのは、実際には、どこからか、『リバイバルが起こったのだ』とか『聖霊が注がれた』とか聞いて、火事場に集まる野次馬のように、他の教会のカリスマ的なクリスチャンが押し寄せたからである。
牧師は、興奮で顔を輝かせながら、言った。
「これから、急遽、洗礼式を行ないます。リバイバルの火付け役となった遠藤君、および小6のメンバーは十二分にその資格があると思われるからです」
ぼくはたっちゃんや他の2人の子と共に、洗礼式を受けた。
ぼくとたっちゃん以外の子は女の子だった。
白い薄い服を身につけて、洗礼槽に沈められる。
3回、水の中に沈められて、罪に死に、神の命に生きるとされる。
たっちゃんが最初に受け、それからぼく、そして女の子ふたり。
最後に受けた黒髪の目がくりくりとした女の子は、流花ちゃんと言った可愛い子だった。
洗礼槽から上げられるとすぐにガウンで覆われるのだが、ぼくはガウンで覆われるその一瞬前の流花ちゃんの姿を見て釘付けになってしまった。
『ほんの一瞬のことだ、誰も気づかないはずだ』
すると、隣にいたたっちゃんがぼくの耳にささやいた。
「情欲を抱いて女の人を見るものは、すでに姦淫を犯したものだ」
ぼくがたっちゃんの方を見ると、心臓が凍るかと思われるほど冷たく微笑んだ。
洗礼が終わると、たっちゃんはみんなの前に進み出でて、言った。
「主が水から上がられると、天が裂け、聖霊が鳩のように降りました。私も、同じなのです。病を持つ人は、前に来て、主の癒しを受けなさい」
こう言われて、牧師も教会のメンバーも唖然としていたが、そのうち、そろそろと数人が、それから何十人となく歩み出てきて、たっちゃんの前に行列を作った。
たっちゃんはひとりひとりを自分の前にひざまずかせ、頭に手を置いて祈った。
「主の癒しを受けよ」
ある人は「治った!」と喜び、ある人は「ハレルヤ、主が癒してくださいました。信じます」と叫んだ。
こうして、わずかの間に、ぼくたちの教会は、ただの退屈な堅い福音派の境界だったのに、しるしと不思議の蔓延する教会へと変わった。
けれど、それではすまなかった。