うえっちとお付き合いするのをやめようと思うと告げた時、うえっちは何だか小さな男の子のように見えた。
そして、自分が小さな男の子を置いて家を出ていく母親のような気がして、心が咎めた。
『お母さん、ぼくを置いていかないで、ぼくをひとりにしないで』
そう、私のイマジネーションの中の小さな男の子は叫んでいた。
でも、わたしはうえっちの母親ではない、そうしてうえっちももう小さな男の子ではない。
だから、私はその小さな男の子を振り切って外へ出た。男の子の泣き叫ぶ声が外まで聞こえたが、わたしは耳を塞いで駆け出した。
『ごめんね、ごめんね、うえっち』
そう言いながら。
気がつくと、ヴィジョンは消えていた。
佐伯さんは帰って行って、わたしの正面にはうえっちがいた。
うえっちはわたしを何だかまぶしそうに見つめていた。そこにいるのは、もはや小さな男の子ではなく、大人への階段を上っているうえっちだった。けれども、小5で会った時の面影が確かにそこにはあった。
だから、わたしもうえっちを見つめ返した。
今までのいろいろなことが一瞬に凝縮されてわたしの中を通り過ぎていった。
うえっちは、共依存という言葉を口に出した。
あの小屋が共依存のしるしだと。
そう、わたしとうえっちがあそこにとどまりたいと願うなら、わたしがうえっちの母親で、うえっちも私のナイトでありたいなら、あの小屋は共依存のしるしに成り果ててしまったことだろう。
けれど、今は違う。
あの小屋は、わたしたちがありのままのわたしたちに帰ることを促してくれる場所、そしてその場所は、そう、ドクンドクンと脈を打っている私たちのハートの中にある。
そこから送られる新鮮な血液は、わたしたちの細胞ひとつひとつを活かし、日々、わたしたちを新しい人に造り変え、わたしたちを自由へと羽ばたかせてくれる。
そんなふうに思ったのは、どうしてなのかはわからない。
藤堂先生の催眠のせいなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
でも、錯覚ではない、自分で決めて、自分で自分の道を進んでいくという爽やかさが私を満たしている。
お別れする前に、うえっちと楽しい時を過ごそう、これからのわたしたちを祝福して。
うえっちは泣きそうな顔をしていた。
わたしはうえっちを大好きだ、それは今も変わらない。
過去のうえっち、現在のうえっちだけでなく、これから変わっていく未来のうえっちも。
わたしは思い切り力を込めて、うえっちの背中をパンと叩いた。
そして、微笑みながら手を振った。最大限の祝福を込めながら。