無意識さんとともに

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聖人A 34 聖人への道、けれどためらい

裸で全ての人の罪を負い、嘲られ、罵られ、十字架に付けられたイエス、そのお方に僕は引きつけられ、そのお方のようになりたいと願った。

というか、僕は松沢さんから逃げ出した時点で、僕はもうこの世に居場所がない、そんな気がしていた。

僕に、残された道は聖人になること、みんなの巨大なゴミ箱になること、それが僕の役目なんだと思い詰めた。

気がつけば、僕の友達はすべて女の子になっていた。

それを羨ましいと勘違いするような男もいたけれど、大いなる勘違いだ。

女の子の友達は、よくこんなことを言っていた。

「佐藤君と、一晩一緒に過ごしても絶対安全だわ」

僕は、それを聞くと、うれしいような、でもほんのり悲しいようなそんな気持ちがした。

ありていに言えば、僕は去勢された人間になっていた。

人畜無害、みんなのゴミ箱、けれども巨大な巨大な巨大なゴミ箱、つまり聖人の道を歩むしか選択肢にないそんな人間。

そう思ったら、あれほど、苦しんだ性的な妄想もいつの間にかなくなっていた。僕はそれを奇跡だと喜んだ。そうして、周りの女の子にはますます安心される人間になっていった。

けれども、もしかしたら、僕は性欲がなくなったのではなく、違う形で力を求めたのかもしれない。

全ての人のゴミ箱になって、ただ十字架にかけられていることはできなかったのかもしれない。

僕は、力を求めた、あの時のたっちゃんのような力を。

その頃、教会で、僕は噂を耳にした。何でも、カナダのトロントの教会に聖霊が注がれたらしい(神の霊が注がれて不思議な現象が起きること)。リバイバルではなく、リニューアルと呼ばれているとのことだ(リバイバルは信仰復興のこと、リニューアルは信仰刷新のこと)。

手が置かれると、人が倒れたり、笑い出して止まらなくなったりするそうだ。

たっちゃんの時の現象とは似ているが、違うのは、父なる神の愛に焦点が置かれ、神との親密な交わりが強調され、集会は父の祝福をいただく宴会と言われていることだった。

僕は、強く心が惹かれて、どうしてもトロントに行かなければならない、そんな気がしてならなかった。

それで、コンビニで働くことにした。放課後、学校が終わるとすぐ、駅近くのコンビニに行く。コンビニは楽なようなイメージがあったが、男の僕に与えられたのはとにかく品出しばかり。結構な重労働だった。
けれど、トロントに行かなければならないという一心で、僕は学校と教会以外の時間をほとんどすべて、バイトに注ぎ込んだ。その甲斐があったのか、高3の春休み前には、トロントに一週間行けるほどの金額が貯まった。

僕は、初めての海外旅行だったが、すべて自分で飛行機のチケットをとり、拙い英語で現地の安いホテルの予約をとった。

教会の年配の方々は、僕のためにと特別献金を募って渡してくれたが、僕はそれを使うつもりはなかった。

そうして、まだ期末試験休みのある日、僕は一週間の滞在の予定で、楓のマークのついたカナダエアラインの飛行機に乗って、カナダのトロントに旅立った。