1階の書斎に、わたしはお邪魔させていただいている。
大きなマホガニーのテーブルがあって、怜のパパは、白いレースのカーテンのかかる大きな窓を背にして、革製の黒い高い背もたれのある椅子に座っている。
怜が静かに入ってきて、氷の入ったルイボスティーを置いていった。
その瞬間、氷がぶつかり合ったのか、風鈴のような微かな音がした。
「それで、幸子さん、どんなことでしょうか?」
怜のパパは微笑みながら言う、よく見ると、目の周りに笑い皺ができている。
『何だか、雰囲気は怜に似ている』
そう思ったら、体から緊張が抜けていった。
「今、すごく、悲しいことがあって」
「悲しいことがあったんですね」
怜のパパは軽く頷きながら言う、ちょっと表情が変わった気がする。
「わたしが大事にしていた場所がなくなっちゃったんです」
「大事にしていた場所ですか、どんな場所ですか?」
「この近くの病院の敷地の森にある小屋です」
「国立○○病院の小屋ですね」
怜のパパはまた、ちょっと微笑んだ。
「そうです、あそこにあった小屋は、わたしの、いえ、わたしたちのこの世でただひとつの居場所だったんです」
「幸子さんの、そしてあなたたちの?ただひとつの居場所?」
「そうです、わたしと上地君の、ただひとつの安心できる場所」
「その場所がなくなっちゃったんですね」
「そうです」
私は自分の顔が歪むのを感じた、同時に胸が割れるように痛くなった。
視線をあげると、藤堂さんも同じ表情をして、同じ痛みを感じている気がした。そうして、少しだけれど痛みが和らいだように思った。
「もし、差し支えなければ、そこで起こったことを聞かせていただけますか?」
藤堂さんは、真剣な表情で、わたしの目を見て言った。表情からも声からも、わたしを子どもとして扱っているのではなく、同じひとりの人間として、対等に扱ってくれるという感じがした。
もちろん、あの小屋で起こったことはわたしとうえっちの秘密で、今まで、誰にも、怜にさえ言ったことはない。
けれど、この人ならわかってくれる、言っても大丈夫だという気持ちが湧いてくる。
「もちろん、ここで聞いたことは誰にも口外しません」
わたしは、あそこで起こったことをぽつぽつと思いつくまま、話し出した。途中、出来事の順序が前後したり、記憶がはっきりしないこともあったが、今に至るまでのことを話した。
藤堂さんは、途中、何も口を挟まなかった。
わたしは、自分の言葉がどこかに吸い込まれていくような感じを覚えた。
「ここまで話して、あなたは、幸子さん、どうお感じになりますか?」
「あの小屋が自分にとってどんなに大事だったのか、それは上地君との絆だったからなんだと思いました」
「そうですね、その小屋があなたがたの絆だったから大事だったんだと?」
「あっ、もしかしたら、あの小屋が目に見える形でなくなっても、絆はなくならないと?小屋が絆そのものではないと?」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。これから、ちょっとよければ、簡単な催眠をさせていただいてもよろしいですか?」
「はい」
私はそう言った。わずかに開けてある窓からそよかぜが入ってきて、レースのカーテンをゆるやかに揺らしていた。