『心に聞く』とは、自分の心に聞くのである。
神様に聞くのでもなく、宇宙に聞くのでもない。
自分の心に聞くとは、ある意味、不思議なことである。
なぜなら、自分の心なので、あえて聞かなくても、自分の心の言うことぐらいわかりそうであるから。
聞くまでもなく、頭の中につぶやきがいっぱい聞こえているではないか?
そうして、そういう頭の中のつぶやきが自分の心の声だと思っている人が多い。
けれども、そのようなつぶやきは心の声では決してない。
そういうつぶやきは、生まれた時から入れられた親の声であり、また自分に影響している他人の声である。
私たちは、そういう親や他人の声を自分の声だと思っているところに、不幸と間違いの原因がある。
親や他人の中には、もちろん、全てではないが、そうやって、自分の声を私の声だと思わせて私を操るものがいる、それを支配者と言う。
この支配者が私を乗っ取り、私が私の声を聞けなくさせ、私を自分のコピーに変えて、自分の操り人形にして好きなように操作する。
だから、まず、支配者の邪魔と支配を、操る糸を断ち切る必要がある。
この邪魔と支配を断ち切っていかないと、心の声が聞こえない。
そういうわけで、まず、何より、心に支配者からの邪魔と支配の排除が、心の声を聞くことのほとんど全てだと言ってよい。
「心よ、私とあなたの間に邪魔と支配はありますか?」
「心よ、私とあなたの間で、邪魔と支配をしている人は誰か教えてください」
(言葉で返ってこなくても、浮かんだ人が邪魔と支配している人だと考えてよい。それは、全てが全て、支配者とは限らない)
「心よ、〇〇の邪魔と支配を排除してください」
(浮かんだ人がどんなに親しい人でも、どんなに尊敬できる人でも、全く構わず、気にせず、排除をお願いする。支配者でなくても、邪魔と支配を与えることはあるから)
「心よ、邪魔と支配を排除したら教えてください」
(返事が返ってこなくてもいい。毎日、毎朝、寝る前、日中、やり続ける。O先生が言っているように千本ノックのつもりで)
「心よ、他に邪魔と支配している人はいますか?」
(他にいたら、その人のことも排除してもらう)
そうして、ある日、心の声を聞けるようになる。
繰り返し言うが、ほとんど邪魔と支配の排除が全てである。
そうやって初めて、心の声が聞けるようになるのであって、しつこくしつこく邪魔と支配の排除をしなければ、そこで聞こえるのは心の声ではない。
「心よ」というタグも大切だ。必ず、ひとつひとつで「心よ」とつけるようにしよう。