無意識さんとともに

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聖人A 19 赤い靴

そんなある日曜日、教会にも行かないで、僕は家でごろごろとしていた。母と小学生の妹は、もちろん、礼拝に出かけている。

手持ちの本も漫画も読んでしまった。面白いテレビ番組もない。

テレビの脇に置いてあるマガジンラックの中に、キリスト教雑誌が無造作に放り込まれていた。母が教会の人に勧められて購読していたものだ。

僕は、2、3冊抜き取って、パラパラとめくっていたが、あるところで目が釘付けになって固まってしまった。

そこには、たっちゃんの写真があった。

タイトルは、『新時代の預言者』、

そして、インタビュー記事の出だしは、『この終わりの時代には、神はご自身の霊を幼き者に注がれ、ご自身の言葉を幼き者の十字軍に語られる。無垢な子どもたちによって組織された霊的な十字軍こそが霊の戦いに勝利する…』など書いてある。

どうやら、たっちゃんはその幼き者の霊的な十字軍を指揮する代表者、預言者として祭り上げられているらしい。

僕の中に、まず恐怖が、そしてわずかに遅れて羨望が渦巻いた。

たっちゃんのことは大きなトラウマだった。僕はそのトラウマのために、教会に行く気がどうにも起こらない。

けれど、流花ちゃんのように、もう教会など行かないという気持ちにも不思議になれない。

それは、自分の中にたっちゃんに対する恐怖だけでなく、たっちゃんのようになりたいという羨望があるからだとわかった。

イスラエルの民がモーセに率いられて紅海を渡った時に、モーセが杖を上げると、紅海は2つに分かれて追ってくるエジプト軍を飲み込んだという。

そのモーセのような預言者とたっちゃんの姿が重なっていた。

牧師や伝道者になりたいと思ったが、神の預言者の前には牧師や伝道者もかしずくのだ。

たっちゃんの前の牧師の情けない姿を思い出した。

そうだ、僕は預言者になりたいのかもしれない。

そのうち、母の口を通して、記事にあった通り、たっちゃんは何でも『幼き者の十字軍』というものを組織して、霊の戦いのために市内を祈りながら練り歩いているという話が入ってきた。

霊の戦いというのは、アメリカの宣教学者が言い出した考え方で、それぞれの国や地域は、そこを縛って支配している霊がいて、それを祈りによって追い出すことによってキリスト教が広がるという、まあ、荒唐無稽な考え方である。

しかし、この考え方が、カリスマ的な教会や聖霊派(しるしや不思議を重んじるグループ)には流行し始めていた。

僕は、母と妹が帰ってくると、2人を避けるようにして外出した。

駅前の行きつけの本屋にでも行こうと思っていたが、そこで、奇妙なグループに出くわした。

「地域を縛る霊よ、出ていけ、キリストの御名によって、アーメン」などと言いながら更新する小学生から中学生ぐらいのグループ、そしてその先頭にはたっちゃんがいた。

僕は急いで隠れようとしたが、運が悪いことに、たっちゃんと目が合ってしまった。