無意識さんとともに

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人間の3タイプ〜3−2 光の人に対する誤解

光の人は鏡だと言った。

私が光の人という言葉から連想するのは、ウルトラマンである。

ウルトラマンはM78星雲にある光の国からやってきた正義の味方である。

だから、光の人と聞くと、そういうウルトラマンのような完全無欠の正義の味方、超人のようなものを想像してしまう。

みんなが光の人になりたい、光の人に憧れるのも無理はない。

けれども、光の人は単なる鏡であって、光そのものではないと書いた。

それはどういうことかというと、光の人自身は、弱さも欠点も限界もある、罪さえあるただの人間ということである。

光の人は、決して超人でも聖人でもない。

光の人についてもう少し知っている人は、ウルトラマンではなく、イエス・キリストを思い浮かべるのかもしれない。

ところが、イエスでさえ、信仰者としてではなく、虚心坦懐に聖書を読むならば、ただの人間である(これはいくら強調しても強調しすぎることはない)。

喉が渇いて疲れることもあるし、怒った群衆に崖から落とされるそうになったり、物分かりの悪い弟子たちにイライラしたり、自分のために実をつけないイチジクの木を枯れさせたり、神殿で怒って両替人の台をひっくり返したり、十字架の上で「我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫んだり…

それらからわかることは超人でも聖人でもない、まさに人間であるイエスの姿である。

さらに、光の人であれば、一切の支配としがらみから完全に脱却しているということもあり得ない。

エスは、荒野でサタン(試みるもの)に試され、試練を受け、それを退けたと思ったら、それで終わりではなく、ある時は、イエスを持ち上げようとしたペテロによって、イエスを王にしようとした群衆によって、イエスを裏切るユダによって、揺るがされ続けた。

もちろん、それらひとつひとつに理屈をつけようと思えばできるが、それらは単なる神聖化、理想化にすぎない。

光の人は単なる鏡である。鏡であるが、凹んでいたり、傷があったり、歪んでいるかもしれない。そうであっても、鏡は光を反射させることに意味があるのである。

鏡は光ではない。