無意識さんとともに

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光の人のイメージ

「心よ、光の人に憧れたり、光の人になりたい人がいるのはどういうことですか?」

「彼らは、光の人になったら、支配から逃れて自分の問題が一気に解決して、救ってもらう方から救う方になれると思っている」

「心よ、光の人になったら、イエスのように、祭り上げられたり、それから今度はこきおろされて、最後は十字架につけられるイメージがあって、私は嫌なんですけど」

「それもまたひとつのイメージ、彼らの持っているものもまたひとつのイメージ」

「心よ、彼らの持つイメージはどんなものですか?」

「人を癒し、救ってあげて、尊敬されて、人生の光の部分だけを歩むことができる華やかなキラキラしたイメージ」

「なるほど、それで光の人になれたらと思うわけですね。心よ、彼らのイメージと私のイメージとどちらが光の人の実情に近いのですか?」

「どちらも近いようで遠い。彼らは、光の人の光と思える部分を見ようとし、あなたは、光の人の影の部分を見ようとするが、光の人はそういう意味で光ではないし、そういう意味で影があるわけでもない。」

「心よ、いったいどういうことですか?」

「たとえば、あなたはイエスが人々に引きずり回されて、そのあげくああいう非業な十字架の死に至ったと思っている。それで恐れている。けれども、事実はそうではない。彼は自分の意志であの死を選んだのだ、あの死は人の罪のための死などではなく、彼が自分で自分のために選んだ高貴な死なのだ」

「心よ、よくわかりませんが」

「あなたは、彼が抗い難い何かの力で十字架で死んだのだと思い込んで恐れている、でもはっきり言えば、それは恐怖を吹き込む支配者の支配だ。彼らは、光の人が光そのものであるように思い込んで理想化する、それもまた目をくらます支配者の支配だ。

つまり、何ら、異なるものではない。

ただ、この支配に気づくなら、支配は、支配の鎖は外れ落ちる」