それから、後、何とも表現するのは難しいけれど、母は母親という名の他人になった。生物学的には未だ母親だけれども、精神的には他人。
言い換えれば、『どうしてわかってくれないんだよ』という気持ちが消えた。
わかってくれないのが当たり前で、わかってくれるというのは幻想だということ。
そう思ったら、母との距離が空くようになった。
もちろん、母はそれでも、僕の心に爆弾を投げ込んでくる。僕を怒らせて、『ほら、見ろ。何も変わっていないじゃないか』と言って、僕を絡め取ろうとする。
でも、僕にはもう『どうしてわかってくれないんだよ』という気持ちが蒸発してなくなってしまったので、そんな母を他人事として眺めるだけだ。
依然としてまともな食事はないが、食事がなければ、自分で作るだけのことだ。そんな気持ちになってしまった。
「あの変な塾に通わせてから、お前はおかしくなってしまった」
「そう」
「何だよ、もう少し人間らしい答えを言えよ」
母はますます激昂する。
僕は、それ以上、何も言わずに自分の部屋に行く。
台所で、母が皿を割るような音が聞こえる。
『心よ、これでいいのかな?』
『大筋はいいんじゃない、でも催眠的コミュニケーションを学ぶともっといいかもね』
催眠的コミュニケーション、耳慣れない言葉が僕の頭にこびりついて離れなかった。
僕は、毎日のように、無限塾の自習室に通い続けた。
そして、1ヶ月を過ぎた時に、藤堂先生に部屋に来るように言われた。
「よく、チューターとして頑張ってくれました。これ、少ないながらも謝礼です」
藤堂先生は茶封筒を僕に渡す。
「ありがとうございます」
自分がチューターと呼べるような何かをできただろうかと思ってしまう。
「袋の中身をチェックして、この受取書にサインしてくれるかな」
袋を開けてみると、予想したよりも遥かに多い金額が入っていた。
「こんなにいただいていいんですか?」
「毎日来てもらって、熱心に子どもたちに教えてもらっているんだから少ないぐらいだよ」
「何も大したことはできなくて」
「いやいや、君はできないと思っても、君の無意識さんがしてくれてるよ。『心に聞く』を使って指導しているんでしょう?」
「はい」
「だとしたら、君の無意識さんが君と共に働いてくれたことに対する謝礼だから。進学の他市にもしてくれるとうれしいかな」
「はい、そうします」
そうすれば、一切、母に頼らずに大学に行けるかもしれない。僕の心に灯りがともったような気がした。
「ところで、そろそろ、もうひとつの謝礼の方もしないとね」