「もうひとつ?」
「そう、もうひとつの謝礼。つまり、催眠を教えるということ」
「まだ、あるんですね」
「そうだよ、まだあるよ、いっぱい」
藤堂先生は髪をかきあげながら、言った。
「今度は何でしょうか?」
「催眠の初歩にもなり、催眠的コミュニケーションにもなるもの」
ああ、心が言っていたことはこれだったんだ。
「イエスセットと呼ばれるものなんだけどね」
「イエスセット?聞き慣れない言葉です」
「そうかもしれない。簡単に言うと、相手にとってイエスと言うしかないことを続けて、言っていくんだ、今、試しにやってみようか?」
「はい、お願いします」
自分の内側で好奇心が膨らむのを感じた。
「佐藤君、今日は天気がいいね」
レースのカーテンから明るい光がさしこんでいる。
「はい、そうですね」
「ここに来るまで、歩いてきたのかな」
「歩いてきました」
「そして、君はこの部屋に入って、僕の前のイスに座っているんだね」
「その通りです」
「すると、何だか、呼吸が楽に感じることもあるかもしれないね」
「ええ、そうかもしれません」
何だか、本当に呼吸が楽になってきたような気がしてきた。これって、もう催眠なの?
「どうかな?」
「何だか、ちょっと頭がぼうっとしてきました」
「うん、それはいいね。3つ、相手にとって当たり前のことを言ってから、4つ目にちょっと催眠を喚起する言葉を付け加えるんだよ」
「最後の『かもしれない』という言葉がそれなんですね」
「そう、それ、許容語と言って、『できる』とか『かもしれない』という言葉が大切なんだ、こういう言葉を使うことで、抵抗感をなくせるからね」
「確かに、『しなければならない』とか『べきだ』とか言われたら、抵抗感が出てくるような気がします」
「そうそう、それ」
藤堂先生は微笑んだ。なんか微笑み方が先生の娘さんに似ている、いや逆か。これも催眠にかかってぼうっとしているからかな。
「じゃあ、今度は僕にやってくれるかな、佐藤君」
「えっ、僕がですか?」
ちょっと、顔がこわばった。僕にできるんだろうか?
「まあ、気楽に、お遊びのつもりでね」
「はい。えーと、先生は車で塾にいらっしゃいました」
「そうだね」
「そうして、いつものお気に入りのサンダルに履き替えました」
「ああ、確かに、これはお気に入りのサンダルだね」
「カウンセリングルームに入って、僕の前で催眠を教えています」
「ええ」
「すると、先生の方も催眠をかけながら、ご自分も催眠に入ってしまうそんなことがあるかもしれません」
「いいね、僕もちょっと催眠に入ってきたようだ」
「こんなんでいいんですか?」
「うん、それでいいよ。練習してみて。練習相手がいない時は、自分に対してやってみてもいいかもしれないよ」
「自分に対してですか?」
「うん、自己催眠ってやつだよ」
「自己催眠?」
「そう、催眠の最終目的は自己催眠だからね」
先生は謎のような言葉をつぶやいた。