僕は女性に追いかけられるということは、人生で経験したことがなかった。
僕の初恋は流花ちゃんで、ごく短い期間付き合ったのは松沢さんで、大学では男女を問わずほとんど誰とも話さなかった。
それなのに、ここでは女性に憧れの目で見られる。
僕は、知らないうちに舞い上がっていたのかもしれない。
プロテスタントとカトリックでは、性的なものに対する厳しさも違っていたようだった。
プロテスタントではとにかく性的なものは御法度だったが、カトリックでは独身を守らなければならない神父でなければ、結構ゆるい。
「たとえ、結婚前に赤ちゃんができても、赦しの秘跡で告白すれば赦されるのよ」と公然と言っている女性もいた。
そうして、先に言ったように、聖なるものが宿ったとされる人に物質的な繋がりを持てば癒されると思っているのだから、そういう神父や聖なるものとされた人たちに触れよう、ありていに言えば、そういう関係を持とうという女性たちがいた。
中には、神父であってもそういう関係を持ってしまい、神父を辞める人もいた。
僕は、時々、地元のカトリック教会にも顔を出すようになっていた。
そこにも、四谷とは比べれば、小規模の聖霊刷新の集いがあった。やはり、ミサの後で教会の一室で会合があったが、集まる人数は多くて10人ぐらいだった。
ほとんどが、僕よりかなり年上の人たちで、若い人と言えば、20代の女性がひとりだけだった。この女性は、ふだん、地元の教会のミサでオルガンを弾いている、おとなしそうで物静かに微笑む、いかにも敬虔そうな人だった。
他に若い人がいなかったから、僕はこの女性、Kさんと仲良くなった。
実は、僕は、四ツ谷の聖霊刷新の集いで人に追いかけられる、特に女性に追いかけられるのに辟易していた。最初は王子のように扱われるのを喜んでいたのは事実だが、時間が経つにつれ、だんだん苦痛になっていた。
「バチカンで、聖霊刷新の国際会議があるから、ぜひ、日本代表として君に出てほしい。旅費も宿泊費もこちらで全部、持つから」
僕は、曖昧に返事をしたが、後になって断った。僕にはとてつもない重荷だった。
そんなわけで、月の半分は地元の教会に出ていた。
何も求めてこない、清楚で、ただ静かに話を聞いてくれて受け入れてくれるKさんは、僕には何だか癒しそのものだった。