無意識さんとともに

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催眠!青春!オルタナティヴストーリー 181 琴の音

9月に入ってまもなく、僕はまた放課後、釘山さんと図書室のカウンターで本の貸し出しをしていた。当然ながら、夏休みの間は顔を合わせることはなかったから、こうやって話すことができるのは久しぶりだった。

服装とかが特に変わっているわけでもなかったが、何となく雰囲気が変わったようだった。

落ち着いているというのか、何と言ったらいいのかわからないが。

「上地君、催眠をかけてくれてありがとう」

「いいよ、だいぶ前になるけど」

どうなったのかと、直接、聞くことは慎みを欠いているようでできなかった。

「そう言えば、彼氏とは別れたよ」

「ああ、そうなんだ」

おめでとうという言葉が頭に浮かんだが、さすがにまずいかもしれない。僕は無難な返事にとどめた。

釘山さんは、返却された本の中から一冊を抜き出して、ページをパラパラめくる。ちょっと前には、夏休みに借りていた本を返しに来る生徒たちがいたが、今はそのピークも過ぎたのか誰もいない、司書の先生たちも用事があって司書室を空にしていた。

「何だか、急に馬鹿馬鹿しくなっちゃって」

良かったねといったらいいんだろうか?それも違う気がする。

「心境の変化?」

「そうね、彼氏のことも、暴力を振るわれても彼氏を好きだと思っていた自分のことも」

相変わらず、釘山さんは視線を本のページに落として、言葉を口から出す。

「自分のことも?」

「そう、何だか、他人の夢を見ていたみたいで」

「誰の夢?」

「彼氏の夢。彼氏の夢の中の自分を演じていたのかもしれないわ」

「そうなんだ、そうして、他人の夢の中の自分から覚めたということ?」

「そうね、そうしたら、なんであんなに夢中になって、なんであんなことしていたんだろうっていう感じ」

今度こそ、この言葉を使ってもいいんだろうか。

「良かったね」

「そうね、ただ、前の自分を責める気もないの。あれはあれ、これはこれかな」

「何だか、すごく冷静な感じだね」

釘山さんが顔をあげて、こちらの方を見た。

「とにかく、ありがとう。まだ、この自分に慣れないで戸惑っているところもあるけれど」

「自分に戸惑う?」

「そう、不思議な感じよ。以前なら、ああしていたなと思うところで、そんなことしなかったり」

「例えば?」

「彼氏に別れを持ち出したんだけど、以前の自分ならそう言ったとしてもフリで、彼の気を引くとか、彼に変わって欲しいと思ってとかで、結局、しばらくして彼のところに戻ってしまうと思う」

「そうなんだ」

「でも、今度は、彼の反応は全く気にならずに、彼自身はわめいたり、私をどんなに愛しているか言ってきたりしたけど、そんなことに全然、動かされずに、別れを告げることができた」

「すごいね」

「そう、だから、そんな新しい自分にびっくりしたり、戸惑ったり」

「でも、そのうち、慣れると思うよ」

「そうね、これもみんな、上地君のおかげ」

「僕のおかげじゃないよ、釘山さんの無意識さんのおかげ」

「無意識さん?」

釘山さんは、目を丸くして僕を見つめたが、僕の言わんとするところはわかったようだ。

まだ暑かったが、中庭に面した窓から涼しい風が吹き込んできた。

「もう秋だね」

僕は、

『この明るさのなかへ

ひとつの素朴な琴をおけば

秋のうつくしさに耐えかねて

琴はしずかになりいだすだろう』

という八木重吉の詩を心の中で思い浮かべたりしていた。