無意識さんとともに

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意識と無意識の統合2〜瞑想

今、瞑想を始めた日を見てみたら、2016.1.25となっているから、もう7年以上やっていることになる。

最初の頃はHeadspaceという英語のアプリのコースをやったり、Museという頭に装着して脳波を測るガジェットを使ってみたり、原始仏教の瞑想をやってみたり…

あるいは、量がとにかく大事だと考え、1日に15分、30分、1時間、2時間と伸ばして行った時もあった。

内容においても、通常のマインドフルネス瞑想に慈悲の瞑想を加えてみたりしたこともあった。

けれど、今は、単純に、呼吸の数を49回ずつ4セット数える達磨静座法というのに落ち着いた。

これが一番単純で、宗教的なものの影響による偏りもない。

偏りというのは、例えば、慈悲の瞑想では、すべての人、親しい人から始まって自分の憎む人にまで慈悲の心を持とうとする。これは、私は宗教的な支配に繋がってしまうと思う。

少なくとも、『すべての人、自分の憎む人にさえも慈悲の心を持たなければならない』と思うことは、余計な抑圧を産むだけで、本質的には癒しにはならない。

話を戻すと、ただ、呼吸の数を、呼吸の仕方を変えつつ、49回ずつ数えることは一見、とても簡単そうだが、やってみるとそうではない。

途中で、どこまで数えたかわからなくなったり、全然、違うことを考えていたりする。

もちろん、それでいい。そうしたら、戻ればいいのだ。

そうすることによって、メタ認知、自分の状態を観察し気づく力を養うことになる。

興味を持たれた方はやってみるといいと思う。

達磨静座法でネットで検索すると詳しいやり方が出てくる。

49回4セットだから、そんなに時間もかからない。

私は、朝、起きると、心に邪魔を排除してもらった後、まず、この単純な瞑想をしている。

この瞑想のおかげなのか、毎日の心模様は色々であっても、それはそれでいいと思えるようになっているのかもしれない。

怒っていたら、『ああ、自分は怒っているな』と気づいて、怒りを抑えず、怒りを味わう。

悲しんでいたら、『ああ、こんなに悲しんでいるんだな』と気づいて、悲しみを眺める。

喜んでいたら、『ああ、しみじみうれしいんだな』と気づいて、喜びを噛み締める。

悟りでもなんでもない、当たり前の世界である。