もう少し、瞑想の効果を具体的に書いてみたい。
逆にメタ認知がないとどうなるのか、自分のことを例にとって思い出してみる。
『ああ、具合が悪い。休んだ方がいいのかな』と思うとする。
けれど、メタ認知がないと、本当に自分が具合が悪いのか、それとも詐病なのか、自分のことなのに判断できない。
そして、当然ながら、本当に休んだ方がいいのか、それともサボリなのかも判断できない。
それで、ぐるぐると考え込み、いらない罪悪感を抱え込む。
ところが、そんな時、数を単純に数える達磨静座法をやると、メタ認知が覚醒して、事柄の是非がはっきりする。
どういうことかというと、瞑想をして、動ける時は動けるし、動けない時はもう休む時だということが明らかにわかってしまうということだ。
『ちょっと具合が悪いな』と思っても、瞑想をすると、メタ認知が働いて、まるで車の燃料計を見ているように、
『ああ、まだ余力があるな』と思って、自然に動けるし、
あるいは、
『もうほとんどガス欠だな』と思って、キッパリ休むことができる。
そんなこと、わざわざ瞑想してメタ認知鍛えなくてもできるよと思えるのだが、実際には瞑想なしにはなかなかうまくいかないというのが、私の実感だ。
次には、これはあまりによく言われているが、頭の中のノイズが減る。
けれど、これは消そうと思って消しているのではない。消そうと思ったら増えるだけのこと。
そうではなく、頭の中に呟きが起こったら、瞑想を普段からしているとメタ認知が働いて、『ああ、これは〇〇の呟きだな』とラベルを貼っていく。ラベルを貼られた呟きは整理されて目の前から消えていく。
これもそういうことを意識してやろうと思っているのではない。そういうことを意識してやらせる瞑想もあるが、それは邪道だ。
そうではなく、瞑想でメタ認知が鍛えられたら自然そうなっていくのである。
呟きそのものが起こらなくなっているというよりも、メタ認知が鍛えられて、呟きにラベルが貼られて整理する速度がだんだんと速くなっていくので、『ああ、ノイズが減ったな』と感じられるようになっていくのである。