親とか宗教とか、そういう自分と関わりの強い支配者から逃れて自由になった後も、新たな支配者に遭遇することもあります。
支配者、虚無、光の人と3タイプあって、支配者が一定の数いるのだから、支配者に出会うことは不思議ではないと思います。
学校、職場、どこにでも、支配者はいて、人を支配するお仕事をしています。
支配者は、最初、出会う時、妙に、強圧的であったり、優しすぎたり、誘惑的であったりします。
つまり、いろいろなのですが、何か度を過ぎているのです。
実は、度を過ぎたその圧力、優しさ、魅力…それらが人を釣り上げるフック(釣り針)だったりするのかもしれません。
人は、度を過ぎたものに思わず反応してしまいます。
反応は、怒りであったり、賞賛であったり、陶酔であったり…とこれもさまざまですが、反応して餌に食いついて、隠れた釣り針を飲み込んで、釣り上げられてしまうのです。
そういう度が過ぎたものに接する時、心は警告信号を私たちに送ります。
私たちが普段から、心に支配と邪魔を排除してもらって、トランスの中で無意識さんとお会いしているなら、私たちはその微かな警告信号を聞き分けることができます。
そうして、餌に食いつくことなく、また新たに、心に支配と邪魔を排除してもらい、感情をオリジナルに返し、トランスに入って無意識さんと出会って一切の影響を洗い流して、支配者と関わることなく、また淡々と歩むことができるのです。
そういう経験を繰り返すと、支配者に対する恐れと緊張は劇的に減っていきます。
支配者に出会うことは避けざるを得ませんが、支配者にわざわざぶつかって怪我をする必要はなくなります。
道に小石があっても、小石をまたいで進んでいけばいいだけのことで、あえて小石を蹴って足を痛める必要がないのと同じです。
小石があったら、支配と邪魔の排除をサッとして、小石をまたいで、まるで小石がないかのように、小石に自分の自由を妨げられることなく、行きたいところに進んでいくだけなのです。
そうやって、私は、小石の存在によって、無意識さんとの信頼関係を厚くし、意識と無意識の統合を進めていくことができるのでしょう。
そう思うと、支配者はまさに支配のお仕事をすることで(本当にご苦労様なことです)、私がますます無意識さんと親密になりひとつになっていくことを促してくれている、そんな気がして、笑みがこぼれてくるから不思議なものです。
無意識さんに連れられて、高いところから地上を見下ろしてみると、闇としか思えないものが光を浮き立たせ、全体が一枚の美しい絵になっているのかもしれません。