無意識さんとともに

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催眠の現象学11 最高のプレゼント

どうも社会不安症があったらしいです。

小さな頃から、集団が苦手でした。

例えば、幼稚園の頃、みんなが電車ごっこに使っている新幹線の乗り物があって、一度、乗ってみたいと思いつつ、一度もその輪の中に加われずに卒園してしまいました。

さらに、中学から高校までずっと図書委員で、特に高校の時は、2人の司書の先生を中心に、卒業生から在校生までちょっとしたコミュニティを作っていました。

私の親友も、私が好きだった人もその中にいました。

ところが、私は東京から神奈川に来る時に、その人たちに何も連絡せずに来てしまったのです。

どうしてあんなことをしてしまったんだろうと思いますが、その時の私にはコミュニティの中にいることがいてもたってもいられないようなそんな気持ちだったのです。

さらに、前も、あるところで、ネットで打ち上げがあったのですが、私はその場にいたたまれず、数分で脱走してしまいました。

そんな感じで、私は1体1の対応はできても、1対複数になると、自分は対応できない人間なのだとずっと思い込んできました。

教育業界で働いてきたので、1対複数でも、子供の場合は大丈夫だったのですが。

そんな自分だったのですが、FAP、臨床催眠講座、そして自己催眠でトランスに入ることをするうちに、あれほど怖かったその恐怖が消えていることに気づきました。

臨床催眠講座の課題で、10人前後でリフレクティングチームを作ってやる課題があったのです。
自分で募集をかけたので、自分が司会をやらざるを得ません。
『果たしてできるだろうか?』と思いましたが、もう後の祭りです。

始まる前に、一応、自己催眠でトランスに入っておきました。

そうして、始まってみると、生まれて初めて、集団の中で、自分が自分でいられる、そんな気がしたのです。

それから、2回、3回、4回と、やりましたが、同じ感じでいられました。

そうして、ある程度、自身が持てるようになりました。
もうひとつ、これも社会不安症の症状に含まれると思いますが、自分は人の言葉や評価に過敏ですぐ傷つくということがありました。
言葉がまるで火矢のように飛んできて、心を刺し貫く感じ。

そうすると、痛くてたまらなくてもうどうしようもないのです。
けれど、自己催眠をするようになって、その直後にトランスに入ると、そんな火矢は淡雪のように消えてしまうのです。

さらに、自己催眠を1日に何度もしていると、そもそも、心に油が塗られたようになり、言葉が突き刺さることもなくなってきたのです。

すると、余裕が出てきて、そもそも、それを言葉の火矢だと思っていたけれども、相手は全くそういうつもりではないのかもしれないなと思うようにもなりました。
そんなことを繰り返し味わうたびに、私の中にある不安と恐怖が、著しく小さくなりました。

それで、昨日、私は前に脱走?したあるコミュニティに戻ることにしました。
以前に感じた心のざわつきは、もうどこにもなくなっていました。
そうして、ちょっとした後に、そのコミュニティを見てみると、私の知っている方がボイスチャンネルにいらっしゃいました。
思わず、そこに入って会話を始めたところ、そのコミュニティの主催者の方も入ってきて3人で和やかに会話をすることができました。
私にとっては、こんなふうに、1対複数でごく普通に会話できる日が来ようとは、まさに青天の霹靂です。
終わり頃に、知り合いの方がチューニング(催眠の呼吸合わせのこと)を一緒にしようと提案してくださったのですが、私は思わずイエスセットをお願いしました。
というのは、私はそのボイスチャンネルでぜひその方の眠る前のイエスセットを受けてみたいと思いつつ、そのコミュニティを去ったからです(まるで、幼稚園の時のあの新幹線の乗り物のように)。
その方は、素晴らしい声と間と心のこもった調子でイエスセットをしてくださいました。
我ながら、ああ、催眠って本当に相互関係の中で起こるものなんだなと思いました。
自己催眠もいいけれど、こうやって、人に催眠をしてもらうと、無意識さんを囲んだ輪の中でお互い同志を何か心地よいものが行き来して、流れていくのが感じられます。
これは、私が、そのコミュニティに復帰して贈られた最高のプレゼントになりました。
その日はぐっすり眠りました、夢を見たのですが、夢の中でも催眠が続いていたようでした。
たぶん、これからも、不安や恐怖に駆られることもあるかもしれませんが、私は無意識さんがその方達を通してその方達と共に贈ってくださったこのプレゼントを思い起こして、無意識さんの手の中に手放すことができる、そんな気持ちがするのです。