「あなたは風の音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くのか知らない」
まさに、無意識というのは、流れる風である。
捕まえたと思っても、手からすり抜け、そう思った時にはもうどこかに行ってしまう。
どんな形にもなるが、どんな形でもない。
こうすれば、無意識が必ず働くという絶対的な方法はなく、時と場所、相手次第で自由自在に変化する。
無意識の生命というのは、固定性にあるのではなく、絶えず変化する流動性、柔軟性にある。
そして、無意識が優しいばかりの微風でしかないと思ったら、その先入観も打ち破るように、時には、支配に対して、強風、暴風、台風のようになって、全ての邪魔を吹き飛ばすこともある。
催眠というのは、実に、この無意識と無邪気に遊ぶことなのかもしれない。
無意識と遊んで、さらに無意識と遊ぶ他の人たちと遊んで、無意識と一緒に風のように、スムーズに、何ものにも妨げられることなく、生命を流れていく、そういうことなのかもしれない。
そう思ってみると、催眠とは本当に、この上もなく、楽しいことのようだ。
そうして、人生を、無意識と共に、風に憧れる人たちと共に遊び、最後は、自分自身も一陣の風になって大空を舞うならば、
これほど、清々しいことはないのかもしれない。