そんなある日、私は、何だか急に、もう一度、『催眠ガール』を読みたくなった。
そうして、読み進みていくと、自分の中にぐんぐんと波のようなものが起こって、その波に乗ってページをめくっていく。
催眠スクリプトが書かれているところに来ると、不思議な感覚に襲われた。
前、読んだ時は、単なる、一種のおとぎ話にしか思われなかったのに、今度は、まるで文字がページから浮き出ているように感じ、自分の心の中に、ダイレクトに入ってくる。
読み飛ばそうとしてもできない。
文章が生き物のように生きていて、文章自身のリズムで入ってくるのだ。
いや、文章自身のリズムと言ったが、そのリズムに任せているうち、『これは文章のリズムでもあり、私のリズムなのかもしれない』と思うようになってくる。
というのは、私の呼吸と心臓の脈が文のリズムであり、文のリズムが呼吸と脈に呼応しているからだ。
『何だろう、これは?』
不思議なことは今まで多く体験しているつもりだったが、そのどれとも違う。
どこがどう違うのかわからないが…
そのうち、急に、意識が薄らいできて、気がつくと、開いた本を枕にして、机に突っ伏している自分がいた。
何だか、心と体が軽くなっている、そのくせ、今までの不思議体験のようにふわふわした感じはない。
しばらくすると、頭もクリアになっているようだ。
この感覚が新鮮で、私がそれから何度となく、『催眠ガール』の中に書かれている様々なスクリプトを読んだ。
読むたびに、毎回、そういう感覚になる。
これが何なのか、その答えが知りたくて、著者のブログを探し出して、読んでみる。
どうやら、これはトランスというものらしい。
トランス…?
トランスという言葉で私が抱くイメージとはあまりに違っていた。
トランスって、頭がトリップして、一時的にせよ、自分ではない自分になってしまうことじゃないのか?
でも、この経験は、私が思い描くそういうものとは違っていた。
むしろ、春風のように、心の中に吹き込んできて、自分でない自分ではなく、むしろ、逆に、自分ではない自分が、自分に戻るような、そんな感覚なのだ。
自分ではない自分が本来の自分に戻る?
とすると、ふだん、これが自分だと思い込んでいる自分が自分ではない自分で、優しい春風の中で、トランスの中で、感じられる自分が本来の自分ということなのか?
何だか、おもしろいと思った。
こんな経験をしたところで、すぐに、鬱が治ったとか、そういう奇跡が起きたわけではないけれど、心の底からおもしろくて、部屋でひとりぼっちの私は静かに微笑んだ。
その微笑みは誰かが見ているというものではないけれど、確かに久しぶりに、もしかしたら何十年ぶりの微笑みだったのかもしれない。