無意識さんとともに

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催眠の現象学93 エッセンス

一刻も早く楽になりたい、というのは当然のことです。

だから、溺れるものは藁をもつかむのかもしれません。

けれども、残念ながら、藁をつかんで魔法のように自分を浮かび上がらせてくれることはまずありません。

そういう意味では、瞑想も心に支配と邪魔を排除してもらうことも催眠もレイキも、そういう魔法の藁ではないように思えます。

 

私が、瞑想を始めたのは、2016年1月25日です。もう8年も経ってしまいました。

そうして、よほどのことがない限り、朝起きると、まず瞑想で1日を始めます。
瞑想を始めて、最初に気がついたのは、『後戻りしない変化は、少しずつ、目に見えない変化として現れる』ということでした。

遊歩道を通ると、若木が植えられていました。

そうして、その遊歩道は毎日通り、そのたびに、私の視界には若木が入っていたのですが、私の目には、特段、注意を引くことはありませんでした。

ところが、どれぐらい経ったのでしょうか、いつの間にか、その若木がもう立派な木に成長しているのに驚いたのです。

目に見えない、着実な、ゆっくりした変化が、ある日、大きな、急激な変化として、人の目に映るのかもしれません。

だから、勘違いして、まるで、若木が一夜にして大きな木になったように思えて、一瞬で若木が大きな木になる魔法の藁を求めることもあるのかもしれないのです。

私の大部分の人生は、そういう藁を求めることに費やされたようにも思います。

けれども、その果てに、そういう藁はないことに気づいて、本質的なことを、不思議に本質的なことはごく当たり前の、人の目に隠れたものですが、そういうことを続けて行った時に、目に見えない変化が積み重なって、目に見える変化として現れるということがわかったのです。

 

これを悟りというには、あまりにも平凡な、ごく当たり前のことですが、このあまりに目立たない、誰もが頭ではわかっている悟りをようやく体感したのであれば、それまでの、魔法の藁を求め続けたことも、意味があったということでしょう。

毎日、瞑想をして、心に支配と邪魔を排除してもらって、自己催眠をして、セルフレイキをして、同じことを、壊れたレコードのように繰り返しているように見えるだけかもしれません。

けれど、樹木の内側で生命力が密かに育まれているのと同じように、内側で感覚は、感受性は、密度が高くなり、目には止まらぬゆっくりした速度で変容し、ある日、それが外に現れていくのです。

そのことに味をしめている私がいるのです。