無意識さんとともに

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催眠の現象学114 自分の中の赤ちゃんに出会う

先天性なのか、後天性なのか、私にはASD自閉スペクトラム症)の傾向があるらしいです。

ASDの原因はいろいろと言われていますが、ひとつには、オキシトシンの低下が言われています(「自閉スペクトラム症岡田尊司 p.95)。

オキシトシンは愛情ホルモンと言われ、母乳に含まれる成分でもあり、スキンシップで分泌される成分でもあります。

私は、粉ミルクで育てられました。

粉ミルクには、当然のことながら、オキシトシンは含まれていません。

そして、私はかなり遅い時期まで、粉ミルクを飲み続けたそうです。

もしかしたら、赤ちゃんの私は、粉ミルクを飲んでも飲んでも渇いていたのかもしれません、本当なら、ミルクに含まれているはずの愛情ホルモンを求め続けて、いつまでもミルクを飲み続けていたのかもしれないのです。

そこに、愛情飢餓の原因があるのかもしれません。

小さな頃から、私は人の顔をじっと見る子供だったそうです。

けれど、よくよく思い返してみると、何だか、顔を見ていたのではなく、女性の胸を見ていたことに気づきました。

自分が変態(よく考えると親によく言われた言葉)なのではないかと恥ずかしくなりましたが、私は、幼い頃から愛情飢餓で、オキシトシンの入った本物のミルクを求めていたようです。

友達に催眠をかけてもらった時、「柔らかいものに触れて」というような言葉を言った時、トランスに入っている私の中で、赤ちゃんが手を伸ばして胸に触れているイメージが浮かんできました。あまりに恥ずかしいので、友達には言わずにおいたのですが。

また、最近、スヌーピーに出てくるライナスの毛布のようなものが私にもあったことを思い出しました。
私の場合は、毛布ではなく、タオルです。

おそらく、赤ちゃんの頃から枕をくるむのに使っていたタオルです。

そして、私が言葉をようやく話せる頃に、親はあまりに汚いそのよだれだらけのタオルを捨てて、新しいものに取り替えたのです。

幼い私は泣きわめき、「パーマ、パーマ」と叫んでいたそうです。

そんなことはすっかり忘れていましたが、今もあのタオルの肌触りと、青と白のストライプが記憶の底からよみがえってくるんです。
今も、自分の中で、赤ちゃんが手を伸ばし、あのタオルを必死に求めている姿が浮かんできて、胸が痛くなります。

どうやら、私にとっては、あのタオルが代理母だったようなのです。

O先生の催眠講座で、心理性的発達理論を学んだ時、口唇期、肛門期、男根期、性器期とある中で、自分は男根期と性器期で躓いていて、思春期のグルグルを繰り返しているような気がしていました。

ところが、今回、フロイトを学び直し、友達や練習相手と話す中ではっきりしたのは、そうではなく、すでに口唇期で躓いていて、そこから全てに躓いているということです。

もっとも、友達の話では、最初から、この人は口唇期でコケていて、それで全部にコケているとわかったらしいので、自分だけがわからなかったということらしいです。

ただ、心が今になって気づかせてくれたのは、ようやく、今になって私がそのことを受け止められる状態になったことなのでしょう。

私は、そこから、どうやら、あらゆる人の中に、理想の母を求め続けてきたらしいです。

私の母親はいわゆる毒親で、私自身、意識的には、もう小さな頃から、母と敵対して生きてきました。だから、自分が母というものを拒絶することが自分のアイデンティティになっていたのかも知れません。

それなのに、現実の母を拒絶しながら、同時に、違う人たちの中に理想の母を追い求めていた、今も追い求めていることは、かなりのショックです。

けれど、「私たちの課題は、心の親離れをすることなのかなぁと思います。それは心に蓋をすることではなく、その蓋を開けて、統合していくことなんでしょうね。心の旅は長く、たくさんの自分を発見する旅なんでしょうね」と言ってくれた言葉の通りなんでしょう。

それは、いわゆる普通の人の人生とは違っているかもしれないけれど、それはそれで楽しい人生なのかもしれないんです。