今、読書会の2時間ぐらい前で、このブログを書いています。
前にも書いた通り、今まではミルトン・エリクソンの本を取り上げてきたのですが、今回は、心の声に従って、フロイトの「夢判断」を取り上げるわけです。
意識的な自分としては、何を今さらフロイトと思うわけです。
エリクソンは、フロイトの心理学を克服したと言われています。それなのに、どうしてフロイト?
この問いに答える前に、エリクソンはどうフロイトを克服したか説明しておきましょう。
フロイトが無意識を発見したのは言うまでもありません。
そして、「夢判断」はまさに無意識を発見した宣言でもあって、フロイト自身がコペルニクスの地動説やダーウィンの進化論に比べ、この書を自分の最も重要な本として言及しています。
そんなフロイトが、どう無意識を捉えたと言えば、無意識は第2の知性であり、しかし、意識のような明るい知性ではなく、おぞましい冥界、樹海のようなところとしてでした。
(p.15「無意識を『もうひとつの理性』、あるいは『もうひとつの知』として位置付け直し」
p.7「忘れてはならないのは、人間の無意識とは、エディプス・コンプレックスがそうであるように、本来、おぞましいものでもあるということです」p.79〜80「私たちの『無意識』とは、けっして「忘れられたおもちゃ箱』のような懐かしく甘やかなものではありません。人間の無意識は本来、見るに堪えぬおぞましさの樹海のような場です。だからこそフロイトはエペグラフでこれを『冥界』になぞらえたわけですが、エディプス・コンプレックスは、このおぞましき樹海の一丁目にすぎません」以上、「フロイト 夢判断 立木康介著より」)
だがしかし、ミルトン・エリクソンは、無意識を無限の叡智、リソースの宝物庫として捉えました。単に、「忘れられたおもちゃ箱」として捉えたわけではありません。
催眠を用いた臨床の中で、そう捉えた無意識の力によってクライアントが自ら変容したのを目撃して行ったのです。
無意識をどう捉えるかによって結果は異なってくるのかもしれません。冥界なら出口なきトンネルですが、叡智なら意識には気づかなくとも最初から決着はついているのです。
だとすれば、繰り返しますが、今さらながら、フロイトの「夢判断」を学ぶ意味はあるのでしょうか?
無意識には、物語を生み出す機能(物語産生機能)があります。
その物語は、夢かも知れないし、トランス中にみるイメージかも知れないし、あるいはセラピストが語る物語かも知れません。
フロイトの「夢判断」を学ぶことによって、そういう夢やイメージや物語を解釈するのに役立てることができるのです。
そのために、フロイトを学ぶのだと私は思っているのです。