ハコミの1日体験ワークショップに、2日間行ってきました。
1日目はラビングプレゼンスで、2日目はマインドフルネスでした。
「自分にとって必要な体験は、安全・安心な場でしかできない」
また、
「体験が私たちをつくっている」
という言葉が印象的でした。
いつも感じるのは、ハコミに来ると、そうしようと思わなくても、自分に言い聞かせなくても、勝手にからだが安全・安心を感じて、脱力し、素の自分が出てくるということです。
そんな自分が出てきて初めて、『ああ、これがありのままの自分なんだなあ』と驚きます。
普段は、ありのままの自分と言われても、緊張が鎧のようになっていて、どれが本当の自分なのかわからなくなっているということらしいです。
そうして、ありのままの自分が、今まで得ようとしても得られなかった、「失われた体験」をハコミの場で積み重ねることができるのです。
そんな体験の積み重ねが自分の中にあるリソースやいのちを引き出してくれるようです。
今回、もっとも心に残ったのは、2日目の午前中と午後のワークでした。
午前中のワークは、「名前を呼ぶワーク」です。
人は、小さな頃から今まで、呼び名やあだ名などのいろいろな名前があります。
聞く人は、マインドフルになって、それらの名前を複数の人にピッタリくるように呼んでもらい、終わったらシェアするというものです。
私の場合は、候補が4つぐらい出てきたのですが、それぞれ呼んでもらって、最終的に、「玉ちゃん」に絞られました。
「玉ちゃん」、「たまちゃーん」、「(あっ)タマちゃん」
といろいろな調子で、何人かの人に呼んでもらっていると、自分の深いところから記憶が呼び起こされてきます。
私は、ずっと塾や予備校の先生をしていたのですが、
ある時、線路沿いを歩いていたら、「たまちゃーん」と呼ばれ、声の方を見ると、線路の向こうに中学を卒業したばかりの子が、私にそう言って手を振っていたんです。
その時は、ひとりの子がそうしていたんですが、なおも聴いていると、いろんな思い出が芋蔓式に次々に呼び起こされ、それらが重なって、
線路の向こう側には、私の生徒たちが、男の子も女の子も、私の名を呼んでちぎれんばかり手を振っているのが見えました。
それを見ていると、もう何だかこらえきれなくなって涙が出てきました。
続けて、午後のワークでは、今度は、マインドフル状態になって、8個の言葉を聞き、自分にとって一番気持ちよく感じるものを選びます。
私は、「うまくいかない時があってもいいんですよ」という言葉を選びました。
実は、この言葉がそんなに心地よかったかというとそうでもなくて、聞いた時に、自分の中からチャイルドが出てきて、
「まあ、そうだよね」という感じで、渋々うなずいていたんです。
4人の人に自分の周りを、自分のリクエスト通りの位置や高さで座ったり立ったりしてもらい、声をかけてもらいます。
最初は、この言葉通りに声をかけてもらったのでしょうか。
そのうち、私は、午前中の「たまちゃん」をこの言葉に付け加えてもらうことを思いつき、リクエストしました。
「たまちゃん、うまくいかない時があってもいいんですよ」
ところがそう呼んでもらうと、私はまた30代の頃の塾で働いていた時の自分になって、生徒がそう自分に声をかけているような気がしたんです。
言葉を生徒の言葉に少しずつ変えていきます。
また、肩や膝に手を置いてもらいました。
設定も、小学生の男の子のちょっと乱暴な言い方や、中学生の親しみのこもった言い方、高校生のちょっと冷静な言い方など変えて言ってもらいました。
最終的には、「たまちゃん、いつも私たちのことを一生懸命にしてくれてありがとう。でも少しは自分のことも大切にしてね」という言葉に変わっていきました。
何だか、この「少しは」というところがリアルで、心に突き刺さって、自分の中で抑えていたものがどっと崩れたんです。
私は熱血教師で、半年間に1日ぐらいしか休まず、本当に生徒は自分にとって宝のようでしたが、過労で最終的には鬱になって、働くこともできなくなったんです。
だから、今まで、そのことを思い出すと、頭にホワイトノイズがかかっているようで、息のできないような苦しさを感じていたんです。
ところが、気がつかなかったけれども、もしかしたらその当時でさえ気がつかなかったけれど、
苦しいなかでも、自分がどれだけ、生徒のそんな思いやり(ぴったりの言葉が思いつきませんが)の言葉を受けていたのか、
次から次へととめどなく思い出すんです。
生徒たちは、干からびた私の心に、コップ一杯の水を、その時々に注いでくれていたんだなあ。
そうして、その生徒たちが注いでくれた水は、今もちゃんとお腹に中にあって、そればかりじゃない、その水が呼び水になって、
私の中には、リソースというか、いのちというか、地下水のように豊かにとうとうと流れているんだ。
そんなことに気づいたんです。
もちろん、頭ではそんなことはわかっていたんです。
でも頭ではわかっていることを、まざまざと体験して経験したという、生の気づきだったんです。