心に聞くというやり方は、「心よ…」と呼びかけます。
そして、心と無意識はほぼ同じものとして捉えられています。
けれど、もしかしたら、心と無意識は重なるにしても、違いはあるのかも知れないなと思ったんです。
ひとつは、友人との対話の中で、友人が「無意識は心より広く、もっとニュートラルなもののような気がする」と言ったことでした。
確かに、心というのは個人ひとりひとりのもので、個人それなりの色、つまり個性とか性格の色合いがついているように思われます。
対して、無意識はそういう色がなく、無色透明なもののような感じがするのです。
さらに、最近、私が出たあるセミナーの中で、山口先生という方が、3重構造について話されました。
曰く、「体と心、そして潜在意識(無意識)があって、死ぬ時に、まず体が滅び、その後、どの宗教においても40日から50日の間に心も滅ぶ。けれど、潜在意識(無意識)は滅びることなく、続いていく」と(この通りの言葉ではありませんが)。
してみると、無意識は魂と言われるものに近いということになります。
もっとも、これは、無意識を実体的に捉えた時に考えられることで、無意識をメタファーとして捉えれば、また違ったことになるかもしれません。
ただ、心は個人の色がついた有限なもの、無意識は心と重なりつつも個人を超えた無色透明で無限に続くものと捉えると、いろいろなことがひらけてくるような気がするのは私にとっては事実です。
心に聞く場合、心の答えは様々です。時には間違っていると思われることもあります。
それは、心は個人の色合いのついた有限なものだと考えれば不思議ではありません。
けれども、この心と重なる、あるいは背後にあるかたちで、無限で無色透明な、個人を超えた無意識があると考えれば、「心に聞くこと」は無限の深まりを次から次へと展開し、無限の智慧と力を持った無意識そのものに聞くことになるのかもしれません。