「…このように、容赦なく自分を見つめるには、リアリティはそのままで完全であることを見抜くと同時に、相対的な不完全さ、つまり目覚めの光がまだ届いていない場所も見抜く識別力が必要です。このような識別力を備えた目から見れば、リアリティは分割できないひとつながりのものであるけれど、絶対的な真実と相対的な真実を区別することはできるのだと理解できるのです。」(ステファン・ボディアン)
絶対的な真実=<私>(真我、大我)と相対的な真実=私(小我)は分割できないものだけれど区別はあり、<私>が私を容赦なく見つめることができ流のです。
むしろ、悟ったり右脳回帰してこそ、初めて私を見つめることができるのかもしれません。
というのも、それ以前は、私が私を見つめるのですが、それは闇が闇を見つめるようなものだからです。
<私>は完全な光ですが、私には目覚めの光が届いていない場所があるのです。
<私>が私の闇の部分を見つめていくことこそ、シャドウワークであり、セラピーでもあると思います。
スピリチュアルバイパス(<私>が完全な光であると悟っても、私の闇を放置してしまい、闇に気づけないこと)を回避するためには、そのことが必要な気がしています。
悟ったからこそ、右脳回帰したからこそ、私の闇の部分を臆せず見ていきたいと思っています。