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そのように、小さい頃からずっと母とは戦争状態であり、心は怒りというマグマに満ち満ちている火山のようであった。時には休火山のようであり、時には爆発して活火山のようであったが、心の中にふつふつと燃えたぎるマグマが消えることはなかった。
しかし、その怒りを用いて母との関係を決定的に断ち切ることはできなかった。もちろん、子供は母がいなければ生きていけず、10代では経済的に独立できないという理由はあるが、それ以上に、常に怒りと裏腹に自分が悪いのではないか、小さい頃からことあるごとに「きちがい」と言われ続けたように、自分がおかしいのではないかという思いが消えることはなかった。この罪意識が私をもうひとつのいばらの道に向かわせることになるのだが。
高校生の頃、「いかに生きるべきか」という人生論が流行り、加藤諦三の本がよく読まれた。私も加藤諦三の人生論の本は読み尽くした。そこに救いを求めたが、それは得られることはなかった。
そもそも「いかに生きるべきか」と言われても、私には日々、生きる力がなかった。もうすでに高校生の時に鬱の兆候はあったのかも知れない。毎年、同じパターンで、春夏は成績は良いが、秋から下降し、冬にはどん底になる。もう、冬には頭も身体も冬眠状態になってしまうのだ。
そういう訳で、私は、哲学に生きる力を求めるしかなかった。そして、教師に哲学がどんなに斜陽の学問だと説得されても、生きるために哲学科に進学した。それは大いなる勘違いではあったが。