僕は、結局、何日も寝込んで起き上がることができなかった。
もうすべてが生き地獄のように感じた、何もかも。
そして、自分の人生が果てしもなく、神と悪魔が闘争を続ける戦場のように思われてならなかった。
こんなに苦しいのが人生なのだろうか?
そのつぶやきに、『私たちは、苦しみの炎に浄化されてこそ、神に近づくことができる』という、どこで聞いたのか、自分の頭が作り出したのか、キリスト教徒として模範的な答えが浮かんできたが、何の慰めにもならなかった。
糞食らえ、僕はその答えに向かって罵った。
何とか布団から起き上がると、今度は、母と妹が怯えているのがわかった。
ドアの赤い文字はシンナーで何とか消したが、心に書き込まれた文字はそんなに簡単に消えるものではない。
「優、心当たりないの?」
「ないよ」
反射的に答えたが、もちろん、Kさんの顔が頭に浮かんでいる。
けれども、確証はない。
ただ、自分のことだけではなく、ここまで狼狽えているふたりを見ては、何かするしかない。
電話をまたかけても、Kさんの母親は娘を電話口に出してはくれないだろう。
僕は仕方なく手紙を書くしかなかった。
なるべく彼女を傷つけないように、丁寧に、間接的に。
そうして、手紙の大部分は僕が書きたいこととは関係のない神様の話で埋められた。
最後にだけ、『…そう言えば、最近、家の玄関のドアに赤い文字がペンキで書かれるということが起こりました。こんなことがあると、母と妹が怖がるので僕も警察に相談するしかなくなるかもしれません。そういう物騒な世の中ですから、Kさんもどうぞ気をつけてお過ごしください』と書いた。
まわりくどく、嫌味っぽく、こんなことを書くのは、全く、キリスト教徒に相応しくないことだと思ったが、仕方ない。
僕は、この手紙が本人の手に渡りますようにと神に祈りながら、郵便ポストに投函した。
…
それから、手紙を功を奏したのかどうか、誰かに後を付けられているような感じは無くなって、僕はどうにか回復して、また変わらない日常に、と言っても、それでもいつもの戦場に戻っていった。
けれども、神の試練の手は休むことがない。
少しばかりの休息の後に、神の試練の鉄槌は、聖人志望の僕に容赦なく下るのだった。
「神へのいけにえは砕かれた悔いた魂」とあるが、僕はどこまで砕かれなければならないのだろうか?
そうやって、人の魂を砕くことが、人のまことの親なる神の愛だとでもいうのだろうか?
わからない…