支配者とは、支配することがお仕事だと言われる。
そこには、善悪という切り分けは入り込む余地がない。
支配者が悪であって、虚無や光の人が善ということではない。
そういう善悪という切り分けなしに、支配者はただ支配するのである。
支配者が支配する時には、必ず、性的なものが絡んでくる。
私は、支配者は自分のコピーを作るために支配してくるのだと思っている。
だから、たとえではあるが、ある種の生物と同じように、支配される人のうちに自分の卵を産みつける。
支配された人は、自分の中に孕んだ卵に自分のエネルギーと存在を食べ物としてせっせと与え続け、ついには支配者の卵が孵化し、支配された人を食い破って、支配者が誕生する。
まさに、このようにして、支配者は自分のコピーを再生産していく。
そうやって、支配者のコピー(間接的な支配者)と成り果てた元虚無や元光の人は、まさに支配者とそっくりであって、支配者の言葉遣い、行動、ついには仕草や顔つきまで似てくる。
特にブラック企業やカルト的な宗教団体を思い浮かべてみれば、社員や信者が支配者である社長や教祖にどんなに似ているか、具体的にわかるかもしれない。
また、言わば、最小限の単位である家族でも、支配者である母親や父親は、支配される自分の子どもが自分に似ていることを喜ぶものである。
よく、歳をとって、だんだん親に似てきたなどと言われることがあるが、よくよく考えてみればそれがどんなにゾッとするものであるかわかるかもしれない。
支配者をいいとか悪いとかいう切り分けはできないと言ったが、支配者は、そういう寄生生物のようなものである。
それが彼らの生まれつきの習性なのである。
彼らは、支配することに喜びも悲しみも後悔もない、そのことに一切、感情を抱かない。
そして、支配者も心理学とか催眠とかをあえて好むかもしれない。
それは全く不思議なことではない。
ある人たちは、自分が癒されるために、また人を癒すために心理学や催眠を学ぶのであるが、支配者は人をうまくコントロールして支配するために心理学や催眠を学ぶのだから。
そして、そういう支配者を憎んでも無駄である。
いや、憎むのは仕方ない。
けれど、支配者は人が憎めば憎むほど、その憎しみを利用し憎しみでぐるぐる巻きにして、そこに自分の卵を産みつけようとする。
だから、近くにいて憎み続けるより、離れることが大切なのだ。
支配者はそういう生物として、関わりを持たずに生きられるなら、離れるのが一番よい。離れることができないなら、そういう生物として扱うしかない。
誰が支配者であるかは、心に聞くしかない。
だが、時に、私にとっての支配者があなたにとっては支配者でなかったり、あなたにとっての支配者が私にとって支配者でなかったりする。
そういう揺らぎが実際にある。
そういう揺らぎがあっても、心に聞いて、私にとっての支配者から私は関係を絶って離れた方がいいし、あなたにとっての支配者からあなたは関係を絶って離れた方がいいことは確かなのだ。
人のことはどうでもいい。
心はあなたにとって必要なことを教えてくれるのだ。