うえっちとけんかしたわけではない。けれど、なんだかすごく気まずかった。当分、うえっちに連絡できないような気がしてならなかった。
怜とは、毎日、一緒に帰った。
「もう、彼と前のように過ごすことはできないのかな」
わたしは誰に言うのでもなく、空を見てつぶやいた。空は雲に覆われていて、今にも雨が降り出しそうだった。
「そんなことはないわ」
怜はきっぱり言った。
「そうなの?」
わたしは視線を怜に移して、怜の顔を見つめた。
「そうよ。幸子は彼とずっと続く関係を望んだ、これはそのプロセスなの」
怜の大人っぽい口調に少し怯みつつも、そうなのだと納得せざるを得なかった。あの夢のことをちらりと思い出す。
「そう?」
「ええ」
怜はそれ以上、言葉を重ねることはなかった。
ある日、掃除も終わって怜と一緒に帰ろうと思っていると、明らかに上級生と思われる、だがひどく親しみやすい感じの人が、教室の入り口のところまで来て、言った。
「浜崎さんはいますか?」
教室には、まだ10人ぐらいの生徒がいて、一斉にわたしの方を見た、怜もわたしの方を見た。わたしは困惑気味にその上級生のところに小走りで駆け寄った。
どこかで見た気がする、どこだろう?
一瞬の後に、頭の中の微妙な仄暗い記憶の中から答えが出てきた。
『そうだ、家庭部の部長の3年生だ』
答えが出たので、喉のつかえが下りたようだったが…
「浜崎さん、入部届をもらったのに、まだ部活に参加していないから、今日はどうかなと思って来たんです」
責める調子は微塵も感じられず、にこにこと笑いながら尋ねてくる。その顔を見ていると、銀行員が痛快に不正を暴いていくあのドラマの主人公を演じている俳優の表情そっくりなどと関係もないことをいつの間にか考えていた。
「はい」
わたしは何となく、返事をしてしまった。入部したからには、部活に参加するのは当然のことだ。
「よかった。では、調理実習室に行こうね」
「ちょっと、待ってください」
わたしは怜のところに行って、わけを話した。
怜はうなずいて、「じゃあ、楽しんできてね」と言った。
そうして、わたしは先輩の部長と、別棟にある調理実習室に向かった。
廊下を一緒に歩いていると、この先輩の方がだいぶ背が低い。何だか、かわいらしい先輩だなあと思って見ていると、
「浜崎さんは、中1なのに、背が高いね」
と言ってくる。
「先輩はかわいらしいですね」
「よく言われる。でもかわいらしいより、ほんとはかっこいい方がいいんだよね」
なんか、言葉がだんだんくだけてくる、これがこの先輩の地なのだろう。
「そう言えば、先輩のお名前を聞いていませんでしたが」
「佐藤花子、ほんとこんな名前をつけた親を恨むよ」
そう言いながらも、部長がおかしくてたまらないように笑うので、わたしもつられてつい笑ってしまった。
廊下の窓からは明るい日差しが入って来ていて、わたしたちを照らしていた。