小さい頃から、心にぽっかり穴が開いていた。
この穴に何を入れても埋まらない、何を買っても何をしても埋まらない。
そうして、絶えず、この穴から血が噴き出していて、まるで心臓に針を刺し込んだように痛む。
この穴から声がする。
「愛されたい、愛されたい、愛されたい」と、餓鬼がうめくように叫んでいる。
親は自分を愛してくれなかった。いや、彼らなりの仕方で愛していたのかもしれないが、愛を感じることは一度たりともなかった。
誕生日を祝ってもらったことがない。
「今日はぼくの誕生日だよ」
そういうと、母親は鬼のような形相で、逆ギレして怒鳴る。
「これで勝手に好きなものでも買ってきたらいいじゃないの!」
ぼくにお金を投げつける。
ぼくはただ、おめでとうの一言を言ってもらいたいだけだったのだ、心のこもった一言を。
そうやって、私は胸にこの穴を開けたまま、生きていかねばならなかった。
誰かに愛してもらいたいから、自分の持っているものを何もかも相手に与えてしまう、ついには自分さえも。
けれども、そうすればするほど、相手は気持ち悪がって、逃げ出す。
その繰り返し。
そんな時、「神は愛である」という言葉を聞いた。
神がいるなら、神が愛なら、私のこの穴を埋められるはずだと。
けれど、私の信じた神はただ愛ではなかった。信仰と引き換えに、その信仰の程度に応じて愛をくれる神だった。
愛と称するものを受け取っても、穴は埋まらず、私の渇きはますます大きくなるばかりだった。
「神は全能の愛」とお題目のように信じても、穴は埋まらない。
ところが、ある日、心の声が聞こえた。
「穴は埋めなくていいんだよ、そこからわたしの声が響いてくるのだから。
穴がなかったら、あなたはわたしとつながることはできず、わたしの声を聞くこともできない。
穴がなかったら、あなたの中に爽やかな風も通り抜けることもできず、穴から昼にはどこまでも広がる青空を、夜には満天の星空を、見ることはできないだろう」
出血は止まり、痛みは止み、わたしは穴から心の声を聞き、穴から癒しの風に癒され、穴から世界の美しさを見るようになった。
深淵は呪いではなく、祝福になったのだ。