「前回、お約束したことを話していきましょうか」
「待ちくたびれちゃいましたよ」
「そうですか。えーと、催眠術とエリクソニアン催眠は違います。
よくテレビとかで見かける催眠術は、ショーのようなもので、人の心を癒したり、能力やリソースを見出すものではありません」
「まあ、犬になったり、青汁を甘いジュースだと思って飲んでも、心が癒えたり、能力やリソースを見つけることにならないのは、当然ですね」
「そして、催眠術はかける人がかけられる人をコントロールするというところに特徴があります。そのために、術者は自分を権威あるカリスマのように振る舞い、そういう印象を与えます」
「なるほど」
「自分をどれだけ、権威あるカリスマ、あるいは何でもできる魔術師、神のようなものに見せるかが、催眠術がかかるかどうかのポイントがあるんですね」
「あっ、そのための演出なんだ」
「そういうことです。ところが、エリクソニアン催眠(現代催眠とも呼ばれますが)は、そんな演出は一切必要ありません。
なぜなら、催眠というものはコントロールするものではなく、むしろ脱コントロールするものだからです」
「脱コントロール?初めて聞きました、どんなものですか?」
「コントロールすれば、意識の力が強まります、いわば、かけられる人の意識を術者の意識でコントロールするところに、催眠術の要があるのですが、
脱コントロールすれば、意識の力が弱まって、無意識が現れてくるのです。エリクソニアン催眠とは脱コントロールするためのものです」
「なるほど」
「そうして、エリクソニアン催眠では、ひとりの人が一方的に催眠をかけるようなものではないのです」
「ええっ、それはまたどういうことですか?」
「ひとつには、水泳で泳ぐ人とコーチのようなものです。コーチが手足を取って無理矢理に泳がせることはできないでしょう?」
「それは無理でしょうね」
「そうですね、コーチはいろいろ指導はするかも知れませんが、泳ぐのは本人なんです。催眠もそれと同じことです」
「ええっ、一体どういうことですか?」
「泳ぐのは、本人に主導権があります。エリクソニアン催眠も、トランス(催眠状態)に入るのは本人に主導権があります。
だから、本当は、エリクソニアン催眠では、催眠誘導とは言わず、催眠喚起と言います(実際は、催眠喚起というのは聞き慣れない言い方なので、催眠誘導と言っちゃっていますが)」
「何だか、自分の催眠のイメージとだいぶ違うので、びっくりしました」
「エリクソンは、こんな誘導(喚起)をしています。
『あなたは、これからワーク(トランスに入るためのワーク)をすべて行って、私はただ椅子に座ってくつろぎながら、そのワークを楽しむことをご存知ですか?』」
「ただ、もうびっくりです」