同じシェフが、同じ卵を使って料理をしても、いろいろな卵料理があるかもしれません。
まして、卵を材料のひとつとして使う料理ならば、さらにたくさんのバリエーションがあります。
FAPも催眠の一種ですが、催眠とは違っているところがあると私は感じています。
催眠はトラウマを扱いません。
正確には、トラウマに対する反応を扱うのですが、トラウマそのものは扱いません。
現代催眠、またエリクソニアン催眠では、問題もまた、無意識がさし示してくれるサイン、またリソース(資源)として扱います。
そうして、催眠によって、心を活性化し、リソースを再発見して、無意識と意識のバランス、引いては統合を目指していくのです。
O先生が言われたように、「催眠は、ゼロからプラスにすること」なのかもしれません。
FAPはトラウマを扱います。
私の理解では、トラウマそのものを取り去ろうとします。
例えて、言えば、外科手術のようなものかもしれません。
メスでトラウマという患部を摘出するのです。
実際に、私がFAPを受けた時は、まさに心の外科手術みたいな感じで、その後、1週間ぐらい体が弱ったことを何度も体験しました。
(そういう意味では、手術前に、問題と折り合いをつけていたバランスは失われるかもしれません。けれど、それは再生のための破壊で、今度は新たなバランスを得ることになるのです。)
終わってしまうと、あったはずのトラウマがないという感じになりました(あくまで、私の主観です)。
「FAPは、マイナスからゼロにすること」とO先生は言っていました。
このように、シェフは同じ無意識さんであっても。催眠という料理とFAPという料理では違っているのかもしれません。
ある時、O先生にFAPを習っている時に、質問した人がいましたが、先生は、「今は催眠ではなくてFAP」と答えを返されたように、覚えています。
実に、無意識というシェフは多彩な料理を生み出すのです。
そして、それぞれの料理ごとに調理法は異なっているのですが、私たちは、同じシェフからいろいろな料理をいただくことができるのです。