(何度も書きますが、これはトラウマがかなり癒された人向けに書いています。)
ナラティブ(物語)を通してみると、人も物事も自分も単純に見えますが、
ナラティブを外すと、人も物事も自分も複雑なありのままに見えるんです。
ナラティブはサングラスなのかもしれません。サングラスのように、わかりやすい色をつけてくれるものなのかもしれません。
サングラスは、そうやって紫外線から目を守ってくれるんです。
ナラティブというサングラスも、外からの影響を排除して、ひたすら内にあるトラウマを癒すことに集中させてくれます。
ところが、ある時期が来て、ありのままのものが見たくなり、サングラスを外すと、太陽光線は眩しく目が眩みます。
場合によれば、今までわかりやすく単純に見えていたのに、まるでその視力を失ったように感じることもあるでしょう。
しばらくして目が慣れてくると、いろいろな形や色が目に飛び込んでくるんです。
その様子に圧倒されて混乱することもあるかもしれません。
外の世界や人間は、もはや善とか悪とか、支配者とか虚無とか光とかに分けられるものではなく、いろいろなものが入り混じったまだら模様に見えます。
自分の内側を見てみると、その時々で万華鏡のように表情を変えてその都度、新しい自分を発見するだけではなく、
その万華鏡の色の一片一片が、自分のパーツ(部分)として、それ自身の性格や役割や悩みを持っていることを見出すのです。
そうして、私はこの一片一片、いや単に一片一片というのではない、私のパーツであり、内的な家族を見出して、和解し、親しくなっていこうと思うのです。
それらは、私の一部であるという点で、私の全体ではないのです(脱同一化)。
また、同時に私の一部であるという点で、私とは別の外のものでもないのです(脱解離)。
脱同一化と脱解離のバランスの上で、私は、自分の内側のパーツたちとの関係を整えていけるのです。
このパーツたちとの適切な距離を保つことで(ブレンド化の解除)、元々、いつも変わらずいたし、いるし、いるであろう、本来の私(セルフ)が現れてくるのです。
その時、このセルフがからだに落とし込まれて、ホールネス(全体性)に向かっていくのです。
すなわち、不思議な言い方ですが、本来の私にただなるというのではなく、
もうすでにある本来の私が現れて、そのセルフのエネルギーによって、パーツたちとともに、傷ついた内なる子供達と共に、何も排除することなく一緒に、心も体も統合され、一切のかけのない、満月のような私(ホールネス)になっていくというのです。