BC1
夢の中で目が覚めた。
私は、机の上から顔をあげて、あたりを見回した。目の前にはふすま、左手には大きな窓があって林が見えている、後ろには本が散乱している。
まったく変わらない光景…だからそれだけ見れば、単に目が覚めたそれだけのことだったろう、ひとつのことを除けば。
すぐ後ろに、男が立っていた。黒縁のメガネ、白髪混じりというより白髪の方がすでに多い髪、斜視気味の目、ペールグリーンの半袖のシャツを着て細身の黒のジーンズを履いた、やや赤ら顔で175センチメートルぐらいの痩せ気味の初老の男…
なんでそんな男が立っているのか、皆目わからなかった。ただ、その男は不信感も抱かせなかった、思い出せないがどこかで会った気がした。だから、これは現実のはずはない、夢の中で覚めるという夢を見ているのだと思った。
男の方もしばらく私を見つめていたが、思い切ったように話しかけてきた。
「隣に座っていいか」
机の横の木製の折り畳みの椅子を指差して言った。
「ああ」
男は折り畳みの椅子に置いてある本を床にどかそうとした、その本の中には自分が大事にしているつもりだった薄緑色のパスカルのパンセも混じっている、『大事に扱ってくれよ』。
そうして、椅子に腰かけると、私の方に向き直った。
「君は机に突っ伏していたね」
『しまった、そこから見られていたのか』
何だか、気恥ずかしい気がした。
「そう、いつのまにか眠ってしまった」
「顔色も悪く、何だか苦しげに見えるけど、何かあったのかい」
自己紹介もなしにそんなプライベートなことを聞いてくるなんて、まるでSのような奴だな。でも何だか嫌な感じも持てなかった。
「そうだな…」
男はあたりの本を興味深そうにじろじろ見ていた。
「これは文語訳の聖書、口語訳の聖書、新改訳の聖書、NIV…聖書だけでもいろいろあるね。さらに、内村の『ロマ書の研究』、ルターの『ガラテヤ書注解』か。懐かしいな。…こんな本が置いてあるということは君はクリスチャンということになるね」
「そうだね」
顔が男の顔よりもずっと紅潮した。