支配者は、深淵という言葉を嫌う。
どうしてかというと、理由は2つあるようだ。
1つめは、支配者は自分の深淵を決して覗こうとしない。覗こうとしないのは、支配者というものは支配することが本質であるから、深淵を覗くことができないのである。深淵がわからないから、破壊欲動とか性欲動もわからない。また、内省することはしないし、できない。
2つめは、深淵という言葉自体をできるだけ排除しようとする。なぜなら、人が自分の深淵を覗いて、破壊欲動と性欲動を見て、内省すると、深淵の中にうごめく支配者の支配を知って自由になってしまうからである。
だから、全力で深淵という言葉を貶めようとするのだ。
また、それ以上に、無意識という言葉も嫌がる。
正確に言うと、無意識というパワーについては支配者も語るかもしれない。
それは何を意味しているかというと、支配者が人を支配するのに利用できる魔法のようなパワーのことである。
あくまで、主体は支配者の私であって、無意識とは支配者の私が使うことのできるパワーである。
けれど、無意識さんを、本来の私、ありのままの私、もうひとりの私、私以上の私という意味では使いたがらない。
それは、支配者の私が自由にできないものだからである。
そういう意味の無意識を人が知ることは、支配者にがんじがらめにされた人が自由へと解放されていくことを意味する。
だから、無意識という言葉の意味をできるだけ矮小化する。
例えば、
「無意識はあなたのうちに眠る素晴らしいパワーです。私はそのパワーを開発する方法を知っているのです。私があなたに教える方法に従えば、あなたは無意識のパワーを開発して、有名になったり、お金持ちになったりすることができます」
けれど、無意識があなた以上のあなただとか、無意識に尋ねることが何よりも大切だとは口が裂けても言わないのだ。
支配者が教えるのは、無意識を利用する方法であって、無意識さんと親しくなることではない。
そこには、微妙に見えるが、天と地ほどの違いがあり、巧妙な罠が仕掛けられている。