「あなたは価値がない」、「あなたは馬鹿だ」、「あなたは何の取り柄もない」、「あなたは醜い」…などと言われたら、それらの言葉を退けるのはそれほど難しくないかもしれない。
けれど、「私は価値がない」、「私は馬鹿だ」、「私は何の取り柄もない」、「私は醜い」…などと言われたら、それらの言葉を退けるのは簡単ではない。
なぜなら、私が私に対して語っているように見えるからである。
支配者という考え方を知らない人にとっては、まさに、自分が自分に対して語っているようにしか思えない。そのため、人はそれらの言葉を信じ込んで、もう自分は生きていても仕方がない、死んでしまおうなどと思うのである。
ひとつはっきりさせておきたいのは、私の心は、つまり、私以上の私である私の心は、私に対して、それらのことは絶対に語らないということだ。
私の心は、私の無意識は、私を裁き、私を否定する言葉は、たとえ天地が滅びても、絶対に言わない。
では、誰が言っているのか?
それは100%間違いなく、支配者である。90%支配者で、10%自分ということはあり得ない。全部100%支配者なのである。
だから、そういう自分を裁く言葉や否定する言葉が、支配者から来ているのか、自分から来ているのか、判断する必要などどこにもありはしない。
100%支配者なのだから。
けれど、そのことを知っていてもなお、私たちはそれらを自分の声だと信じやすい。
なぜなら、冒頭に言ったように、支配者は「あなたは〇〇だ」と言って裁き責め否定するのではなく、「私は〇〇だ」と私の中でささやいて裁き責め否定するのであるから。
しかも、私そっくりの声で、私に「私は〇〇だ」とささやいてくるのである。
だから、私たちはたやすく、支配者の声を信じ込んでしまう。
そういう、意味では支配者もまた催眠の達人である。
達人である支配者は、2人称ではなく、1人称で私にささやく。
そういうわけだから、私たちは、それが2人称であろうと1人称であろうと、私を裁き責め非難し否定するささやきは、全て支配者の声だと知って、心に支配と邪魔を排除するわけなのである。