無意識さんとともに

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催眠の現象学112 自分の感覚を取り戻す

一昨日から昨日の昼にかけて、心がシーンと静かで、波一つない湖面のようでした。

とても気持ちがよくて、自分の感覚がありありと感じられました。

自分軸で生きるとはこういうことなのだと思ったんです。

外で、いろいろなことが渦巻いていても、巻き込まれることのない静けさ。

以前は、外のぐるぐるに引き寄せられて、また同時に自分から飛び込んでいったようです。

自分こそが渦巻きをどうにかできると言わんばかりに。

そういう時は、自分の感覚はわからない、何が正しいかそればかりに自分の思考が吸い寄せられるんです。

いやわからないというのは言い過ぎかもしれません。

感覚が、ざらざらしても、チクチクしても、ヌメヌメしても、人に褒められたくて、すべての人から好かれたくて、感覚を押し殺し、拍手喝采を浴びるべく火事場に飛び出して行ったんです。

そうして、火事場で自分も火だるまになっていたんです。
でも、今は、この自分の感覚を大切にしたいんです。

幸福は決して思考から来ないことがわかりました。

幸福とは、自分の体感なのです。

生きているリズム、生命の脈動みたいなものは、自分の感覚だけが捉えられるようです。

そして、幸福とは何をどれだけ持っているかというより、この生命の脈動を感じることらしいのです。

この緩やかなリズムに乗っていきたい、このリズムに乗って生きるなら、無理をしたり、自分と合わないものに合わせたり、正義のヒーローになったりはしないようなんです。

生まれてから初めてはっきりと味わう、この自分の感覚、自分が自分であるという感覚、ここからもう離れたくない。

そう思ったら、今度は胸の奥から、怒りが吹き出してきました。

自分が人に好かれるためにやっていた記憶がよみがえって胸が痛くなったんです。

それがどれだけ自分の感覚を裏切り、覆い隠してきたことか。

だから、この怒りも痛みも、更なる扉を開けること、
自分の感覚をより取り戻し、自分が自分であることをもっと知るためのもの、

そう思ったら、怒りも痛みもなんだかとても貴重なものに思えるんです。

もっと自分に戻るための次の扉を開けるための鍵のようなんです。